1980年、日本のパンクロック黎明期にインディーズレーベル「ジャンク・コネクション(Junk Connection) 」を創設した地引雄一。
彼の伝説的著書「ストリート・キングダム」を原作とした映画だ。
おそらく当時を知る者、そして世代を超えてパンクロックを志す者にはたまらない作品なのだろうが、個人的にはあまり興味のない音楽カテゴリーという事もあり、それほど共感はできなかった。
カメラマンのユーイチ(峯田和伸)は地方の大学の学園祭で、解剖室と言うパンクバンドの演奏を撮影していた。
解剖室は想像をはるかに超える過激なバンドで、ボーカルの未知ヲ(仲野太賀)は演奏開始後すぐに丸裸になって観客にダイブ、さらにバケツから臓物をぶちまけ、最後は未知ヲが観客に向かって放尿した。
すぐに警官と学園祭実行委員が駆け付けるが、未知ヲは「これは愛だ」と言い張った。
数年前、ユーイチは田舎で自然の写真を撮ろうとしたが、それではなかなか食べることができず農家の手伝いをしていた。
その時トランジスタラジオから流れたセックス・ピストルズの曲に衝撃を受け、パンクロックを聞くために上京する。
そしてロック雑誌に広告掲載されていたミニコミ誌を購入し、ミニコミを編集するサチ(吉岡里帆)と知り合い、よくわからないままライブハウスとして開放されていたスタジオに出入りするようになる。
スタジオの所有者はS-TORA(大森南朋)で、彼の元に集うバンドがスタジオでライブを行ううちに、それらのバンドは東京ロッカーズと呼ばれるようになった。
東京ロッカーズの各バンドのメンバーは人気となり、地方のライブ公演も行うようになる。
そうなると取りまとめ役が必要となり、「まともな人間」という事でユーイチが選ばれた。
その後ユーイチは各バンドの活動をカメラに収めながら、地方遠征のドライバーなどマネージャー的な役割で東京ロッカーズの活動を支えるようになる。
バンド名や個人名などは微妙に変えられているが、おそらくは原作の「ストリート・キングダム」に忠実な内容となっているのだろう。
冒頭の解剖室の過激ライブ以外は、ほぼ時系列でストーリーが進行する。
70年代までの学生運動の波が去り、ビートルズの影響も落ち着き団塊の世代が髪を切って社会に順応し始めた頃、それでも何かを訴えたい若者は音楽表現に活動の場を求めた。
しかし、いつの時代でも音楽活動をするためには資金が必要だ。
人気が出てメジャー資本と手を組むと自由な表現活動が制限され、どのバンドもそのジレンマに悩む。
自分のアイデンティティ確立のため、自分自身を納得させるための根拠を探し続け、迷い続ける。
そんな若者たちの姿が赤裸々に描かれている。
音楽は自分の内面から湧き出す踊りだと言うごくつぶしのヒロミ(中村獅童)が、言葉が出なくなり田舎に引っ込んでしまったり、過激なライブを続ける一方でマネージャーとしての地味な仕事もコツコツ続ける未知ヲの姿もおそらく原作通り、そして事実に近いのだろう。
もがき、迷ってぶつかりあう若者たちの姿が、生々しく描かれている。
ただ個人的には「アート=反体制」という思想は20世紀の大いなる勘違い、あるいはアーティストの願望だと考えているので、理解はできたが共感はしなかった。
そもそも、アート活動だけでメシを食おうというのがムシのいい話で、本職で糊口を凌ぎながら、コツコツと自分の表現活動を続ければいいのだ。
それを他人が認める、認めないは関係がなく、自分の内面で完結する、それがアートである。
もちろん、自由な表現活動でメシが食えるアーティストもいる。
しかしそれはほんの一握りだ。
そして、自分の表現活動が時代にマッチして受け入れられるというラッキーな要素も必要となる。
もがき、迷う彼らの姿を見ていると、自分の音楽を認めてもらいたいと言う承認要求を捨てれば、もっと楽に音楽活動ができるのになぁ、と思ってしまった。
ただ、当時をリアルタイムで体験した世代、そして今まさに音楽でもがき、苦しんでいる人たちには大きく共感する作品なのだろう、とも思った。
監督の田口トモロヲはまさにリアルタイム世代で、脚本の宮藤官九郎は一世代下だが、おそらく10代の頃東京ロッカーズに憧れたのだと思う。
51.ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。
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by ksato1
| 2026-04-03 00:05
| 映画
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