ダルワーン(ベン・キングズレー)はN.Y.で、昼は自動車免許取得のための教官、夜はタクシー運転手として働いている。
元々インドで大学教授であったダルワーンだが、シーク教徒であったがために迫害を受け、幼かった妹と彼自身を除き、両親兄弟は殺されてしまった。
彼自身も長い投獄の末、アメリカに亡命している。
そんなダルワーンだが、ある夜に離婚問題で揉めている夫婦をタクシーの乗客として乗せる。
妻のウェンディ(パトリシア・クラークソン)が著名な評論家で、夫は研究者だが大学で職に就いてない、いわゆる格差夫婦であった。
その事もあってか、夫は他に女を作り妻の元を去ると告げている。
大騒ぎの結果、夫は車を降りて妻を家に送り届けることになった。
その後、タクシー事務所に戻ったダルワーンは、後部座席に妻の忘れ物を見つける。
後日その荷物を届けることがきっかけで、ウェンディはダルワーンに車の運転を習う事になった。
車の教習を通じて、だんだんと心を近づかせる二人。
しかし長く独身であったダルワーンはシーク教の教えに従い、生まれ故郷の近くの村出身の中年女性と結婚する事を決意していた。
一度も会った事がない女性と結婚するのかと、ウェンディは驚くが、ダルワーンは妹が紹介してくれたジャスリーン(サリタ・チョウドリー)と結婚する。
だが、英語もおぼつかないジャスリーンは、N.Y.の生活になじむことができない。
同じシーク教徒だが、長くN.Y.で暮らすダルワーンと初めてインドを出るジャスリーンでは生活感覚も大きく異なり、二人はだんだん心が離れて行く。
シーク教徒のためターバンを巻くダルワーンへの差別、そして自動車教習の教官であっても実はインテリで、ここそこでその片鱗を見せるダルワーンに対し、ウェンディは同情、尊敬などさまざまな感情を抱く。
そして自動車教習を通じて、まるで長く一緒にいるパートナーであるかのような錯覚に陥る。
この二人の微妙な距離感が、見ていてなんとも歯がゆく、映画として抜群に機能している。
身分や人種という先入観から、そもそもお互いをパートナーとして考えていないのだが、心の底では少しずつ惹かれあうようになる。
しかし、ある日突然ダルワーンは結婚してしまう。
見る者を巧妙に引きずり込むストーリー展開である。
何度も免許取得を諦めようとするウェンディに対してのダルワーンの発言は、格言的で非常に重い物が多い。
シーク教の教えを守り、その結果亡命と言う波乱万丈の人生を送りかつ教義に忠実に生きようとしているダルワーンだからこそ言葉重くなるのだが、少しも説教臭くない。
そのあたりの作り方も巧い。
派手さはないものの、非常に巧くまとめられた佳作と言えるだろう。
98.しあわせへのまわり道
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