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1994年2月の大雪

さて、1994年の大雪の2月の話。
この年は金曜日が建国記念日で3連休だった。

なので、大学時代の友人2人と、都留で教師をやっている同じく大学時代の友人のところへスキーをしに行った。

金曜日の11日は快晴。
たしか朝6時くらいに新小岩あたりで集合したと思ったが、首都高に乗る時点でもう渋滞。
中央道に入っても延々の渋滞。
ちょっと考えが甘かった。

どこに行ったかよく覚えてないが、たしか甲府のちょっと先の小さい日帰りのスキー場を目指していた。
しかし昼前にやっとこさ高速を降りてスキー場にたどり着いても、すでに駐車場が一杯で閉まっていた。
そこから再度中央道に乗り別のスキー場を目指したが、今度は高速を降りたとたんにそのスキー場に目指すための渋滞にぶつかる。
その時点で観念して、その日はスキーを諦めて都留に戻った。
休日なのになぜか職員会議をしていた教師の友人を待ったのち、酒を飲んでカラオケへ。
昼は本当にいい天気でポカポカ陽気だったのに、カラオケをしている頃からやたらめったらすごい雪が降り出した。

大雪の中、教師の友人の部屋に歩いて戻る。
その段階で、酔いが醒めるくらいの勢いの雪だ。
寝袋の中でガタガタ震えながら寝た。

翌朝起きると、しんしんと雪が降り続いていた。
昔見た「新日本紀行」のオープニングみたいだ。
それでも友人の部屋を出て、富士天神平スキー場に向かう。
その時も運転をしていたが、もうどこからどこまで道なのかもわからない。
除雪が間に合わないので、センターラインどころか路肩もわからない。
ヘッドライトもあまり効かなくなってきて、下手すりゃ道から外れそうだ。

そんなこんなで10時くらいにようやくスキー場に到着。
大雪なので客も少なく、駐車場も空いていた。
入場券とリフト券を払うと言うシステムに腹を立てながら、リフトに乗る。
元々人工スキー場で、当時はリフトが2本しかなくコースもショボかったのだが、どんどん新雪が降ってくるので意外と楽しかった。
ただ、前日にたらふく酒を飲ませた教師の友人が、3本くらいでヘバった。
そしてもう一人の友人も、明日予定が入っているので必ず今日中に帰宅したいと言う。

入場券とリフト券も払っていた事だしもうちょっと滑りたかったが、やむなくお昼を食べて撤収。
都留で友人を降ろして別れ、3人は東京に向かった。
そしてここから悲劇が始まる。

都留を出たのがたしか夕方の4時前後。
前日に結構走行したので、ガソリンスタンドに寄った。
それまでタンクが空だったので気にならなかったが、ガソリンを満タンにしたととたん、車のお尻が激しく揺れることに気が付いた。
すでに中央道は雪で前面通行禁止になっていたので国道139号を走っていたのだが、こちらも除雪が間に合わず、チェーンを履いた車が通った跡がそのまま凍結。
氷で舗装されていないくらいの凸凹道になっていたのだ。
そしてタンクが満タンなので、後部の振れが激しい。
こりゃーちょっとヤバイ、と思った瞬間、前輪が道路上の盛り上がった氷塊を砕いた。
大きく傾いた勢いで、車がまたまた90度回転する。
今度は片側1車線の国道、道幅もかなり狭い。
だが前回の経験を生かしハンドルを固定していたので、ゴツンと軽くガードレールにぶつかってすぐに停止。
奇跡的に対向車もなく、そのまま車を立て直した。
もし対向車線に車が来ていたら、スピードは出せないので大事故にはならなくとも、車は無事ではいられなかっただろう。

しかし本当の悲劇はここから始まる。

高速には乗れないがそんなに渋滞もしてないし、最初はまあ日付が変わる前には家に帰れるかな、っという感じだった。
だが国道20号に入って、たしか上野原あたりから様子がおかしくなる。
かなり激しい渋滞が始まったのだ。
そんじょそこらの渋滞ではない、一度止まると10分くらいまったく動かない渋滞だ。
しかも街中ではないので信号や交差点があるわけでもない。
どこが渋滞の先頭なのか、まるで見当がつかない。

時間はどんどん過ぎて、日もとっぷり暮れたがそれでも進む距離はわずか。
まさかこういう事になるとは思っていなかったので、食事をどうするかなどはノープランだった。
途中、何件か食事できそうなところも見受けられたが、どこも駐車場が一杯だ。
渋滞の列が駐車場に入るものなのか道路を進んでいるものなのか、わからないくらいの渋滞である。
3人で相談の結果店に入るのはやめて、どこかのコンビニで食料を仕入れて車中で食べる事にした。

やがてコンビニが見えてきた。
一人が車を降りて、コンビニに食料の調達に行く。
その間にも渋滞はほとんど進まない。
やがて戻ってきた友人が持っていたのは、「とんがりコーン」などのお菓子。
「なんだよ、おにぎりか、せめてパン買ってこいよ」と言ったら「コンビニの棚がほぼ空だった。配送のトラックが雪で来ないらしい」との事。
ゲゲっ、そうか。
渋滞にハマっている他の車も同じ状況で、食料を手に入れられただけでも良かった方なのか。

さらに夜は更けるが渋滞は解消しない。
トロトロ走って10時くらいに相模湖を通過して、そのあたりでなんとなく原因が分かってきた。
こちらの車線が動くのは10分に1回くらいだが、進むときは結構進む。
そして止まってしばらく経つと、対向車に大量の車がやってくる。
何か原因がある事はわかったが、それが何かは分からなかった。

そして原因が判明したのが、日付が替わって大垂水峠を越えたあたり。
バカでっかいトレーラーが、対向車線を人が歩くくらいのスピードでノロノロと上がってきており、その後ろが酷い渋滞になっていた。
その車に乗っていたと思われる人が車の横を歩きながら交通整理をしており、こちらの車線を止めて何台か後ろの車を通し、それからこちらの車線の車を通していた。
正確には、まずAさんがトレーラーの先を走って上がり対向車線である我々の車線を止める、トレーラーがそこに追いつくまでもう一人のBさんが後ろの車を先に行かせながらゆっくりと上ってくる、トレーラーがAさんのいるところまで追いついたらBさんは後ろの車を止める、Aさんは止めていた対向車線の車を流して自分はまた対向車線を止めるために上まで走る、の繰り返しだ。

最初からこれが渋滞の原因かはわからないが、少なくとも4時間くらいはこれが原因のはず。
という事は、この人たち4時間もこれやりながら大垂水峠を東京方面から上がってきてたんだ。
しかもまだ上がりきっておらず、上がった後も山梨方面に下らなければならない。
まさに地獄!

トレーラーをやり過ごすと、その後は路面が凍結しているためゆっくりではあるものの、渋滞にはならず無事八王子まで降りてくる。
腹は減っていたものの、すでに深夜1時を回っていたのでやっぱり店には寄らずにコンビニで食料を仕入れる。
首都高も通行禁止なので、そのままずーっと20号を東に走り、蔵前通りを通って新小岩の友人宅に着いたのがたしか4時前くらい。
そこで一人降ろして、その後最後の一人を松戸まで送った。。
その時点で6時で、篠崎の実家に戻ったときにはたしか7時を回っていた。

そのときは疲れと寝不足に加えて、緊張して運転していたのでマジでヘトヘト。
車を降りて運転の緊張感が解けたときには、妙な達成感に見舞われた、無事に帰って来てよかったって。

あの頃は若かったからなんとかなったけど、今じゃとてもじゃないけどできないね。
雪の日に運転しようとすら思わないよ。

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by ksato1 | 2010-02-18 00:18 | 日記 | Comments(0)