先週からNHKの大河ドラマで「豊臣兄弟」がスタートした。
この事で豊臣秀長にスポットライトがあたり、あまり研究が進んでいないが秀長が豊臣政権を支えた最大の功労者で、彼の死により豊臣政権が崩壊した可能性がある、と伝える番組が多数放送されている。
しかし歴史マニアの間では、もう10年以上前から豊臣秀長が日本史上最強のNo.2の一人であることは、よく知られていた。
ちなみに、日本史上最強のNo.2はもう一人いて、それは平清盛の嫡男の平重盛である。
先に重盛の説明をすると、平家は重盛が没するまで、朝廷と平家の関係は良好であった。
後白河院の后である滋子が30代半ばで没すると、後白河院と清盛の間がにわかに怪しくなってくるが、その関係の修復に腐心したのも重盛である。
若い頃から清盛の教えをよく守り数々の武勲をあげていた重盛を、清盛は厚く信頼しており、出家して政は重盛に譲り、自分は大陸との貿易に注力するつもりであった。
しかし、重盛の義兄藤原成親の起こした謀反などの心労もあってか、重盛も40歳そこそこで没してしまう。
生前の熊野詣の際に重盛が、平家が安泰になるのであれば自分の命を捧げてもいいと祈祷した、という逸話も残っている。
この後、重盛の嫡男維盛が若かったこともあり、平家の当主は重盛の腹違いの弟宗盛が継ぐことになる。
そして清盛が没すると、求心力を失った平家は清盛の時代から続く異母兄弟の争いで瓦解する。
だが、もし重盛が生きていたら、清盛の没後も朝廷との関係を良好に保ち、平家内の諍いもまとめあげたに違いない。
話を秀長に戻すが、秀長は重盛に似ているように思う。
乱世の戦国時代、天才的に機を見るに敏の才があった秀吉を信じ、頑ななまでに秀吉を信じて武勲をあげた。
長く秀吉の下にいたためか人間としての評価も高く、そのコミュニケーション能力は秀吉以上とも言われ、一騎当千の戦国武将たちを時には交渉して説得、時には懐柔し、秀吉よりも武将たちから信頼を得ていたと言う説もある。
特に、徳川家康とは昵懇の仲であったらしい。
また、中納言として朝廷と武士たちの間のとりまとめも行っていた。
通説では、秀吉から関白を受け継いだ秀次は、秀頼誕生後に謀反の疑を掛けられ自害させられた、とされているが、実はそうではなく、秀吉は他の武将への手前、建前で形式上秀次を拒絶する姿勢を見せたものの、内心では秀次を一時期高野山に隠棲させ、ほとぼりが冷めたあたりで復帰させるつもりだったとのことだ。
しかし、申し開きのため登城しようとするものの秀吉に拒絶された秀次自身が、身の潔白を証明するために自害してしまった。
関白が自害をすると言う事態は尋常ではなく、朝廷への申し立てをするために、秀吉はしたかなく秀次に謀反の罪を着せ、一族をすべて処刑したと言うのが本当の歴史らしい。
これももし秀長が生きていれば、おそらく秀次を簡単に説得し、秀次の切腹および一族の処刑と言う事態は避けられただろう。
また、秀吉の朝鮮出兵であるが、これは元々信長の野心であった明攻略を秀吉が実践したものだ。
信長時代から来日していたスペイン人が、自分たちが明を攻略するために信長の力を利用しようと焚きつけていたのだが、秀吉はこの信長の野望を自ら実践しようとしたのだ。
このあたりはスペイン人が、日本の武将の弓、槍、刀、鉄砲による戦闘力を高く評価していた事が理由だが、長くなるので説明を端折る。
しかし少しだけ説明すると、常に世界を支配してきたアイアンロードの終着点が日本で、さらに鎌倉時代に日本が鉄の精錬技術で世界一になっていたことに由来する。
ちなみに戦国時代が終了した後、合戦の前線で働いていた武者たちはt徳川によってオランダ人に輸出され、東アジアエリアのオランダ独立戦争で活躍している。
話を秀長に戻すと、この無茶な朝鮮出兵も、秀長が生きていれば諫めただろう。
少なくとも文禄の役後の調停の際、秀吉に明が降伏していないことを悟られずに巧くまとめて、その後の慶長の役は発生していなかったと思われる。
とは言え、重盛の話も含め、すべては推測の域を出ない。
ある程度研究が進んできたものの、まだ資料が少ない秀長を、今回の大河がどう描くかは楽しみだ。
なお、今回の大河はキャスティングもなかなか面白い。
一番面白いのは、大河では過去に2回秀吉役を演じた竹中直人が、戦国時代の風雲児である松永久秀を演じている事だ。
初回に登場した柴田勝家が「侍タイムスリッパー」の山口馬木也というのも面白かったが、まだ発表されていない役どころでは、豊臣秀次、黒田官兵衛、千利休を誰が演じるのかも興味深い。
今年も1年大河が楽しませてくれそうである。
by ksato1
| 2026-01-11 00:05
| 日記
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