2024年のカンヌのコンペティション部門で監督賞を受賞したらしいが、予告編を見た限りではちょっと微妙だなと感じ、観に行くかどうか迷っていた。
するとシネマズシャンテでトークショウ付きの上映があるという事で、観に行くことにした。
1918年、イギリスからビルマのラングーンに赴任していたエドワードは、婚約者との結婚を控えていた。
7年もの婚約期間があったのだが、エドワードはまだ結婚に前向きではない。
結婚用のスーツを新調し、港でロンドンからやってくる新婦のモリーを待っていたが、そこで気が変わり旅に出てしまう。
エドワードはシンガポール、タイなどの東南アジアから日本、中国まで旅してモリーから逃げようとする。
エドワードが旅に出たことを知ったモリーもまた、彼の後を追いかけてアジア中を旅することになった。
トークショウによると、監督はサマーセット・モームの「パーラーの紳士」に着想を得たそうである。
映画を観た後に、どんな物語なのかを確認するために「パーラーの紳士」をネット検索したが、あらすじにあたるものはほとんど発見できなかった。
しかし監督がインタビューを受けた別の記事を見ると、設定や構成などはかなり似ているようである。
モームの作品がどう評価されているかはわからないが、この映画で言えば、はっきり言ってダメである。
エドワードは空間だけではなく時間も旅しており、日本の舞台は現代の大阪だ。
ただ、「空間と時間を旅する」と言えば聞こえはいいが、単純に予算の関係で1920年前後の日本を再現することができなかったため、現代の大阪でそのままロケした事が見え見えだ。
脚本も、最初は詩的な表現や哲学的な表現だなと思ったが、それぞれのシーンにつながりを持たせていないため、中盤からは散漫に見えてくる。
前半のエドワードと後半のモリーの旅については、それぞれの国で二人の行動に関連性を持たせてはいるが、エドワードの旅についてはただ放浪しているだけで、かつ各国の映像の奥行きもほぼかわらないため正直観ていて途中から飽きてしまった。
アジアが舞台で、かつナレーションが訪れている各国の母国語になっているという部分は、ヨーロッパでは目新しく感じられたのかもしれない。
それに加えて全編モノクロ映像のため、芸術性が高いようにも見えるが、それ以外でカンヌで監督賞を受賞した理由が見当たらない。
トークショウの前に居酒屋で飲んでいたらしいので、監督はほろ酔いだったのかもしれないが、自分の作品に対するアツい情熱がまったく感じられず、ちょっと上から目線の不遜な態度だった。
その部分も含めて、かなりガッカリな作品だった
143.グランドツアー
by ksato1
| 2025-10-17 08:02
| 映画
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