「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」(再)

本シリーズの「ハリポタ」は5作目の「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」がピークで、その後の2作は広げた風呂敷を強引にまとめるために一気に劣化し、尻すぼみで終了してしまった。
新シリーズもどうかな、と懐疑的に考えていたが、世界観だけに頼った非常に微妙な感じになっている。
原作が児童文学で、そもそも原作者がプロの作家ではなかったのだから仕方ないのかもしれない。
そしてその新シリーズの2作目が公開されるため、番宣として1作目がTV放送されたので、念のため復習として録画して見た。

魔法生物学者であるニュート・スキャマンダー(エディ・レッドメイン)は、希少の魔法生物を生誕の地に戻すためイギリスからアメリカに入国した。
そしてうっかり、鞄の中から魔法生物を逃がしてしまう。
その光景を見ていたのが、アメリカの魔法局に勤務していたティナ( キャサリン・ウォーターストン)だった。
彼女は降格されていたのだが、ニュートを捕らえることで復権したかったのだ。
だが、ティナに魔法局に連行されたニュートが持っていた鞄に入っていたのはパンだった。
途中で、パン職人志望のジェイコブ(ダン・フォグラー)の鞄と入れ替わってしまったのだ。
釈放されたニュートとティナは、ニュートの鞄を持ったジェイコブを探す。

その頃、ニューヨークの街では不思議な破壊が発生していた。
魔力を持たないノーマジ(ック)の人々には見えないのだが、魔法使いの子供に寄生する邪悪なるオブキュラスの仕業だった。

ハリポタシリーズは、学校が舞台で生徒は寄宿舎で生活していた。
そのため色々な制約があり、使ってはいけない魔法なども存在していた。
そのあたりが制約となり、ストーリーにアクセントをつけていたのだ。
だが舞台が変わり、さらにテーマが魔法動物。
はっきり言って、「なんでもアリ」の世界になってしまう。

そして実際この作品も、ニュートの鞄の中にいる魔法生物は「なんでもアリ」だ。
たしかに子どもが喜びそうな魔法生物ばかりなのだが、これだけ「なんでもアリ」にしてしまうと、ストーリーにも影響を与えて究極の「ご都合主義」な展開になってしまう。
この作品のラストも魔法で街を直して、人々の記憶を消す薬をサンダーバードがバラまいて一件落着してしまう。
記憶を消す薬によってジェイコブもニュートたちの記憶をなくしてしまう、と言う結末に落としてはいるものの、この後の作品では、どんな展開でどんな大暴れになっても最後は魔法で直して魔法で記憶を消せるのだから、「魔法でなんとかなっちゃうんだよね」ってことになってしまう。
逆に収束できない展開になった場合、「なんで1作目のように魔法で直さないの?」というパラドックスに陥ってしまう。
大河的な長編シリーズを作る場合、あらかじめ設定を細かく決めておかなければならないのだが、原作者のJ.K.ローリングスにはそれができないのだろう。

この後、すでに観ている最新作の感想も書くが、はっきり言って想像以上に強引なストーリー展開で、また風呂敷をたたみ切れなくなるんじゃないかな、という不安を感じた。



139.ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅(再)



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by ksato1 | 2018-12-04 20:00 | 映画 | Comments(0)