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もう終わってしまったけど、前回のギンレイの2本

もう終わってしまったけど、前回のギンレイの2本。

まず「わが母の記」。
原作は井上靖の自伝的小説で、かなり事実に近いらしい。
大家の自伝的小説、さらに事実に近いと言う事もあり、映像化はかなり気を遣ったのだろう。
観ている者にもそういう雰囲気が伝わってきた。
と、言えば聞こえはいいが、映画としてはかなり退屈な作品であった。

この映画のキモは、主人公洪作が母八重の晩年に自分が長年抱えていた誤解を悟って、母への想いを深めることである。
父の死後、母八重はだんだん痴呆が進み始めてくる。
実家には妹夫婦が住んで母の面倒を見てくれているものの、時折事情で洪作が引き取る事もある。
洪作は幼い時、妹二人の面倒を見るため母が自分だけを母の実家に預けた、と思い込んでいた。
すでに大人となりその事へのわだかまりはないのだが、老いた母がふいに話した本心により、当時の母が何を思って洪作を預けたのかを知る事になる。

文字を追う小説としては、こういう話は面白く読めるだろう。
また原作が発表された1970年代であれば、なんの違和感もなかっただろう。
しかし現代の映像作品として制作した場合、かなり退屈な内容になってしまった。

まず、洪作を中心とした家族の距離感が中途半端。
物語は洪作家族の生活を時系列的に追い、そこに母との交流のエピソードが挟まってくるのだが、洪作が妻、そして娘3人とどういう関係であったのかが、表現されていない。
唯一末娘の琴子(宮崎あおい)とはわだかまりがあったり分かりあえたりしているが、上の娘二人とはほとんど交流していない。
1960~70年代の日本家庭において、家長である父親とはそういう存在であった可能性も高いが、それをそのまま映像にしても面白味はない。
そのため物語は中盤まで時間軸通りに淡々と流れてしまい、後に残るものが何もなくなってしまっている。
ドキュメンタリーフィルムではないのだから、そのあたりは原作ママではなく一工夫入れて欲しかった。
洪作が預けられるシーンや八重の実家にいた記憶のシーンなんかを、フラッシュバック的にもうちょっと入れても良かったんじゃないかと思う。

大作だけどもう一捻り欲しかった、という見本のような作品だ。


続いて「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」。
こちらはもっと酷かった。

「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」に続き、地方鉄道シリーズ第二弾として作られた作品のようだが、ハッキリ言って映画にする意味はなかったと思う。
前作は観ていないのでなんとも言えないが、49歳で運転士を目指す男の話なので、おそらくきちんと鉄道が主題の映画だったのだろう。
だがこの作品は、もうすぐ定年になる運転士の話である。
運転士として30年以上真面目に勤務していたが、家族の事をあまり振り返らなかった。
定年を機に妻は再び仕事をしたいと言い出すが、彼はそれに反対する。
その結果、妻は家を出てしまう。

まず、この話の主人公が運転士である意味がまるでない。
警察官でも消防士でも教師でも、たんなる事務職のサラリーマンであってもストーリーに影響はない。
唯一、クライマックスシーンが雷で途中停止した富山電鉄の車内であるが、それもまず富山電鉄ありきで作られた感は否めない。
前作が好評だったから次は富山電鉄で映画を作ってみましょうか、的な匂いがプンプンして、作品としての深みに欠ける。
そもそも、最初の時点で主人公の滝島(三浦友和)が譲歩して「家から仕事に通えばいい」と提案しているのに、妻の佐和子(余貴美子)は「家の事をやりながらできる仕事じゃないの」と言って家を飛び出してしまう。
でも、定年を迎える滝島が手が掛かって仕方がないとは思えないし、一人暮らしするならやはり最低限の家事は行う必要がある。
それを押して佐和子が家を出る事に、なんの必然性もない。
なんだか、仕事ではなく離婚することが真の目的のように見えてしまう。

一人娘の麻衣(小池栄子)とその娘婿が、また危機感に乏しい。
麻衣は妊娠中ですでにお腹もかなり大きいのだが、両親の別居をやたら冷静に見ている。
普通、そういう状況で突然親が別居したら、「こんな時にお父さんとお母さんは何やってるの?」と大騒ぎしそうなものだ。
まあそれは、やたらキモの座った人と言う考え方も、できなくはないけど。

そして一番笑ってしまうのは、滝島の中学だか高校だかの同級生と言う深山(仁科亜季子)だ。
映画全体が安易なストーリー展開なのだが、この深山の役どころはさらにビックリするほど安易。
思わせぶりたっぷりに登場するが、尻切れトンボでフェイドアウトする。
登場する場面も安っぽければ、二人で食事をするシーンも本当に安っぽい。
イマドキ、大学生でもこんな薄っぺらいシーンは撮らないんじゃないか、ってな具合だ。
こんな役でも断らずにちゃんと引き受ける仁科亜季子は、とても偉いと思う。

とにかく、ストーリーは何から何まで安直なのだが、役者は実力者を揃えている。
それもあって、脚本の薄さがさらに際立つ格好になってしまった。
これだけの役者を起用して凡作になってしまいました、という見本のような作品だ。


97.わが母の記
98.RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ
by ksato1 | 2012-10-29 20:48 | 映画 | Comments(0)