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未解決事件file.2「オウム真理教」(ドキュメンタリー編)

ユネッサンに行っている間に、オウム事件最後の逃走犯高橋克也が逮捕された。
金曜日は帰宅後もクタクタですぐに寝てしまいニュースもほとんど見てなかったが、昨日からのニュースを見るとかなり狭い範囲を逃げていたようだ。
都内に入ったら、新宿とか渋谷の方が潜伏し易すそうだけど、やっぱり怖くて蒲田から動けなかったのかもしれない。

さて、菊地直子が通報で逮捕されたのが6月の頭だが、その直前に「未解決事件file.2 オウム真理教」が放送された。
すでに日記にも書いたがドラマ編は3月末にも放送されており、今回はこのドラマ編にプラスしてドキュメンタリー編も放送された。
ちなみにドラマ編の日記はこちら。

●未解決事件file.2「オウム真理教」
http://ksato.exblog.jp/14974817/


この時は日記に、「最初にオウム真理教が目指していたのは宗教法人になる事であった」と書いている。
まあ実際、ドラマ編の内容はそうであった。
だが今回のドキュメンタリー編では、まったく違う事実が明らかになった。

通常、オウムの反社会性が強まったのは1990年の衆議院選挙での敗北からと考えられているが、そうではなかった。
最古参信者が所持していた700本にものぼる説法やセミナーのカセットテープを検証すると、麻原彰晃は教団設立時から社会権力を握る夢を描いている。
実際、坂本弁護士一家を拉致殺害しているのは、1989年で衆議院選挙の前年である。

そもそもの発想の根源は、宗教の戒律のようだ。
麻原彰晃も丸っきりの狂人ではなかったようで、宗教の戒律を突き詰めていくと、いずれ必ず資本主義とも社会主義とも対立する事はわかっていた。
だからオウム発足直後の説法の中で、究極の目的としては資本主義、社会主義を駆逐し、宗教国家を作りたいと言っている。
ただこの時点では、武力によるクーデターまで考えていたかどうかはわからない。

しかし1990年、2月の衆議院選挙敗北後の5月にオウムは熊本県旧波野村の用地を買収したのだが、ここに作った施設は武装化準備のための施設だったと、上祐史浩も語っている。
すでにこの段階で実際に武装化の準備を始めているという事は、クーデターの構想はもっと前に考えられたに違いない。

そしてこの段階で、すでに世間を騒がせていたオウムに対し、旧波江村民は非常に危機感を持っていた。
熊本県警も国土利用計画法違反で強制捜査を行なっているが、前年に宗教法人の認可を取っていた事もあり、強制捜査前に慎重な意見も出ていた。
そのため強制捜査が1週間後ろ倒しになってしまう。
だがこの事により、警察関係者の家族から教団に強制捜査の情報が漏れてしまった。
オウムはその1週間で、武装化準備の痕跡をすべて隠してしまう。
もし最初の予定通りに強制捜査が行なわれていたなら、ここで兵器やその開発施設が発見され、この段階でオウムの暴走をストップする事ができたかもしれない。
ちなみに上祐史浩によると、麻原彰晃は武装化の準備完了が強制捜査までに完了できなかった事を、酷く残念がっていたと言う。

その半年後から、オウムは拠点を山梨県旧上九一色村に移す。
サリン製造はこの旧上九一色村の第7サティアンで行われたのだが、ここの最初の責任者は上祐史浩だったそうだ。
この第7サティアンでは、最初から全人類を殺害するだけの量の(70トン)サリン製造を目指していたらしい。
上祐は麻原からサリン製造の話を聞かされたときに、「協力できないのなら教団を離れろ、それはすなわちポアされる側に回る事だ」と脅されて、反対する事ができなかったそうだ。

ちなみに麻原の話術は、上祐ほどのディベートの達人も反論できないほど巧みだったらしい。
番組ではこの事も検証していたが、例えば弟子たちに「業(カルマ)を犯した人間に対して、どう接したらいい?」と問いかけたとする。
弟子たちは当然、最初は「説得する」などの優等生的な答えを出す。
しかし麻原はそれらの答えに満足せず、次々に「他には?」と問いかける。
こういう流れになれば、普通に考えれば麻原が「ポアする」と言う答えを望んでいると誰もが思うだろう。
そして弟子の一人が「ポアする」と答えるのだが、麻原はそれで質問を終わりにしない。
「なるほど、他には?」と質問を続ける。
場の空気は「説得に応じなければポアも致し方なし」になっているのに、麻原自身が弟子から出た正解をきちんと評価しない事で、麻原の意見だけが絶対的に正当であるという構図を作り出すのだそうだ。

そして1994年の松本サリン事件が発生する。
長野県警は当初、第一通報者の河野義行氏を犯人だと推定し、捜査を進める。
しかし現場検証でサリンが検出された事もあり、別働隊として理系出身の警察官が集められていたそうだ。
彼らが最初に降した判断は、「個人でサリンの精製などできない」である。
そして製造原料の流通を洗い出し、教団が運営している二つの会社に行きあたっていた。

一方神奈川県警は、1995年に起きた公証人役場事務長殺人事件を追っていた。
彼らもオウム関連の企業をすべて洗い出し、やはりサリン関連の二つの会社に行きあたる。
そのため警察庁に専従班ができ、サティアン周辺の草木が枯れた事象を調べたところ、サリンが検出された。
また自衛隊の化学班の専門家がサティアンの写真を見て、間違いなくサリン精製をしており、しかも研究所レベルではなく工場レベルできわめて危険と判断をしていた。

がしかし、それでも第7サティアンを捜査する事ができなかった。
なぜなら当時の日本には、サリン製造に関する法律がなかったからだ。
例えサリンを製造していても、散布した証拠がなければ犯罪にはならないのだ。

警察庁はなんとか強制捜査の糸口を掴もうとするが、その理由が見つからない。
脱走した信者を監禁している件で捜査を試みようとするものの、それでは大規模での強制捜査をする事ができない。
そうこうするうちに、警察庁の動きがオウムに感づかれて、地下鉄サリン事件が起こってしまったのだ。

この番組を見ていると、マインドコントロールという言葉が非常に重たく感じてくる。
人が何に対して共感を得て、何を信じて何を恐れるか、麻原彰晃は先天的にそれらを感じ取っていたのだろう。
そうでなければ、これだけのエリートたちを自在に操る事など不可能だ。

そして、オウムの宗教法人の認可があと1年遅れていれば、熊本の強制捜査の時点でオウムをストップできたかもしれない。
逆に言えば、警察より常に先手先手を打って強引に教団の目標を遂行するという意味でも、麻原彰晃はたぐいまれなるリーダーシップを持っていた、と言えるだろう。
幸か不幸か、すでに「持っていた」と言う過去形になるのだが・・・。

いずれにしろ個人的には衝撃的な事実を知る事ができ、番組の価値は非常に高いと思う。
「file.3」にも期待したい。


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by ksato1 | 2012-06-17 13:51 | 日記 | Comments(0)