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その後のルワンダ

「ホテル・ルワンダ」は、ルワンダ内戦時の大虐殺を描いた映画だ。
その後のルワンダがどうなっているのか、4/4のNHKスペシャルで放送された。

ルワンダは第一次世界大戦終了後、ベルギーの統治下に置かれ、少数民族のツチ族が支配を行っていた。
Nスペではその理由を、体が大きくて鼻筋が通り、欧米人に似ているツチ族を支配階級に置いた、と言っていた。
もちろんそれも理由の一つであろうが、やはり植民地を支配するにあたっては、少数民族に特権を与えた方が支配しやすく、本当の理由はそこにあるのだろう。
少なくとも画面に写っている人々を見る限り、私にはツチ族とフツ族の決定的な外見の違いはわからなかった。

その後ベルギーから独立し、フツ族政府が樹立される。
そうなると、今までの支配層だったツチ族への弾圧が始まる。
この時難民として世界に散ったツチ族が、ディアスポラだ。

ディアスポラは本来「離散者」という意味で、パレスチナを離れて暮らすユダヤ人の事を指す場合が多い。
だが同様にルワンダを追われたツチ族も、ディアスポラと呼ばれている。
そして現在のルワンダの復興を担っているのが、このディアスポラたちである。

現在ルワンダは、形だけは民族の差別が撤廃されている。
かつてはIDカードに出身部族が書かれていたが、今はない。
しかし現実問題としては、やはり高い教育を受け都会で仕事につくツチ族に対し、フツ族は農村部で貧困生活に苦しむ者が多い。
ツチ族の復讐を恐れたフツ族は近隣諸国に逃れ、いままだなお、すべてのフツ族は帰還していない状態だ。
そして帰還しても、かつて暮らしていた田畑は荒れ果てている。

番組では母親をフツ族に殺されたツチ族の一人が、なんとか両者のわだかまりをなくそうと努力をする。
母親が生前に強く願っていたからだ。
コーヒー農園に工場を作り輸出を手伝う、取り分は半々だとの提案をフツ族に行う。
かつての遺恨から最初は猜疑心が強かったフツ族も、やがて熱意にほだされて心を開いていく。
しかしこのような成功例は、ほんの一部なのだろう。
番組で取り上げられていたコーヒー農園がある地域も、1年で何人ものツチ族が殺害される。
根強く残る遺恨をすべて綺麗にするのは、まだ何十年もかかるのかもしれない。
だが、ディアスポラが世界中から資本、労働力、資源を呼び込んだため、ルワンダは着実に復興をしている。

Nスペの映像には、映画からは創造もつかないような近代的な都市が作り上げられていた。
この番組は「アフリカン・ドリーム」と名づけられたシリーズの第1話である。
1回目がなかなか興味深かったので、次回以降も見てみようと思う。



by ksato1 | 2010-04-16 18:57 | 日記 | Comments(0)