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昨日の続きで「誰も守ってくれない」

一言で言うと、非常に秀逸な作品である。
ただ「*」が付いてしまう。
いわゆる、「アスタリスクマーク付き」ってヤツだ。
そう、バリー・ボンズの756号ホームラン記念ボールと一緒ね。

ある事件がもとで、家族は崩壊してしまう。
それは被害者家族はもちろんであるが、加害者家族においても同じことである。
これまで、事件の被害者家族を語る作品は、数多く制作された。
だが加害者家族に焦点を当てた作品は、おそらく初めてだろう。

そしてこの作品の秀逸な点は、被害者家族と加害者家族、双方の視点を生々しく取り上げている事だ。
少年犯罪とマスコミ報道というショッキングなキーワードに目が行きがちだが、これは家族の崩壊と再生をテーマにした映画なのだ。

加害者家族に警護がつくことは、警察では正式には認めてないらしい。
それは冒頭のテロップで説明された。

しかし殺傷事件だけでなく、汚職事件などでも家族の居どころわからなくなるという事はよくあるので(あくまで報道するマスコミが居どころをつかめないのだが)、おそらくは警察による保護もあるのだろうとは思っていた。
この映画が、実際の加害者保護をどれだけ忠実に再現しているのかはわからない。
しかし映画の中では、保護が人道的なものでなく、あくまでも参考人聴取に必要だからと割り切っている点は、逆に説得力が生まれている。

さらに、もしこの加害者家族を守るとしたら、いったい誰から守るのか?
CMや予告編を見ると、あたかもマスコミから守る、というように見えた。
この部分はやや残念である。
なぜなら本編で加害者家族は、ネットというメディアを使って攻撃を仕掛ける、一般市民から守られるというストーリーになっているからである。

ここの部分の出来も非常にいい。

ややネタバレになってしまうが、映画の前半部分では、まずは加害者宅前、そして避難先にも次々とマスコミが押しかけてくる。
そして佐々木蔵之助扮する新聞記者が、加害者の妹の志田未来と刑事の佐藤浩市を執拗に追う。
佐々木は佐藤浩市の3年前の事件をほじくり返し、糾弾キャンペーンを行うかの勢いだ。

ところがここから話は転じる。
佐々木が地道に取材を行っている間、ネットでは次々と個人情報が明らかにされて行く。
日本中に網を張るインターネット。
志田と佐藤浩市は逃げ場を失う。
取材を終えてデスクに戻った佐々木蔵之助は、ネットでの情報公開のスピードにただ驚くばかりだ。

一人を取り押さえても止まらない、ネットでの個人情報公開。
現代において、匿名の掲示板で行われる「暴力」の威力は、マスコミの「権力」など比ではないのだ。
最速で佐藤浩市の過去を暴き、スクープをものにしたつもりでいた佐々木。
しかし掲示板の書き込みのスピードについて行けず、自分が取り残されている事実に打ちのめされる。
そしてラスト近く、彼は相棒に向かってこう言う。
「なあ、オレはボールをキープしているつもりでいたんだ。でも、足もとが坂道で、ボールは転がって行ってたんだよ」


加害者となる志田の設定は、本人とほぼ同じ15歳。
微妙な年頃の、しかも女の子に設定した点は素晴らしい。
すでに社会の状況が理解できる年ではあるが、感情では自分の置かれた立場を理解することができない。
いや認めたくないのだ。
だから自棄になって滅茶苦茶な事もする。
自分も同じ年頃の娘を持つ佐藤浩市は、そんな彼女に必要以上の同情を感じ、非情になりきれない。
二人の距離感も絶妙だ。

そしてこの映画の一番の見どころは、柳葉敏郎と石田ゆり子の夫婦が経営するペンションのシーンだ。
この二人は、かつて覚醒剤中毒の通り魔に、3歳の息子を殺された被害者家族である。
この事件には、佐藤浩市も深くかかわっている。
志田と佐藤浩市は、このペンションに身を隠すことになる。

夫婦はとても優しくて穏やかだ。
だがそれは本心ではないのかもしれない。
被害者家族にとって、嘆き悲しみ、怒りを誰かにぶつけても、自分が傷つくだけなのだ。
だから意識的に、心を平静に保つ必要があるのだ。

けれども人間だから当然、何かのきっかけでいつもは封印していた怒りが爆発してしまう。
そして封印されていた分、その怒りは激しさを増す。
あふれ出す怒りを、誰も止めることはできない。
ほんの10分ほど前まで親しく話していた人にも罵声を浴びせる。

被害者家族、加害者家族とも、「なんでこんな事になったんだろう」と、何十回何百回と考える。
しかし答えは出てこない。
答えの出ない迷宮に入り込んでしまったとき、人は何に救いを求めるべきなのか。

この映画では、その答えを「残された家族」と定義付けている。
それは家族に起こった問題は、家族にしか解決できない、という事なのかもしれない。
劇中、加害者本人や、ある意味責任を追及される立場である保護者をほとんど登場させず、徹底して「加害者の妹」という視点から映画を作っている点も、効果を発揮している。
家族を再生させる事ができるのは、おそらく一番冷静に家族を見ることができる、彼女だけだからだ。

問題は根本的な解決を見せず、明るい見通しはほとんどない。
その中で、柳葉石田夫妻に差しこんだ小さな希望の光が、ラストに感動を与えてくれる。

で、ここまで褒めてきたが、それでも「*」が付いてしまう。
何かと言うと、先週放送されたTVドラマ「誰も守れない」だ。

このドラマ、単なる映画の宣伝のために急遽作られたものかと思っていた。
実際ドラマ自体の内容は、かなり無理やりで大した事なかったし。
ドラマを見ておくと、映画の方も若干楽しめるかな、という感じだった。

だが違う。
このドラマには、映画の伏線が随所に張られてあったのだ。

例えばカウンセラー医の木村佳乃。
ドラマを見てないと、「こいつ本当は刑事の愛人じゃないの?」という疑問さえ出てきそうな雰囲気だ。
だがドラマの中で、佐藤浩市と木村佳乃の信頼関係がバッチリ描かれている。
逆に言えばドラマを見てないと、「なぜここで木村佳乃?」と、クエスチョンマークが頭の上に出まくってしまう。

そして佐藤浩市と松田龍平。
映画だけ見ると単なる中の良い相棒だが、ドラマの中では松田龍平が覚醒剤中毒患者となり、二人の激しいやりとりが展開されている。
だからこそ映画では抑えめの、松田龍平の渋い役どころが際立つのだ。

松田「娘さんと付き合っていいっすか?」
佐藤「シャブ漬けにするぞ、てめぇ」

二人のこんな掛け合いもあるのだが、あの事件の後でこんな軽口が叩けるほど、二人の信頼は厚くなっているのである。

なので秀逸な作品だとは思うのだが、最初にドラマを観てない人にはちょっとわかりづらいかもしれないので、強くは勧められない。
まあドラマを観てなくても、本筋の「家族の問題」の部分に影響はないから、いい作品だとは思うんだけどね。

それと一部、2ちゃんねらーとおぼしき若者が多数登場し、全員がいかにも「アキバ系」という格好をしている点は、ちょっとどうかなと思った。
あそこはあえて普通の格好の人も混ぜた方が、よりリアリティが出たんじゃないかと思う。
そこまですると本当に生々しくなっちゃうから、あえてそういう演出にしたのかもしれないけど。


10.誰も守ってくれない
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