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時間がなくて先週の映画の日に観た映画の感想全然書いてない。
ちなみに観たのは以下の3本。

アマルフィ 女神の報酬
グッド・バッド・ウィアード
20世紀少年<最終章>ぼくらの旗

だんだん記憶も薄れてきているが、まあ仕方ないので思い出しながらゆっくり書こう。

ああ、でも「20世紀少年<最終章>ぼくらの旗」だけは、しばらく後で書くことにしよう。
いろいろと書きたい事はあるんだけど、公開してまだ日も浅くて観てない人もいるだろうし。

まずは「アマルフィ 女神の報酬」

フジテレビの開局55周年記念とやらで、いろいろと大物俳優並べて全編イタリアロケとかで、さらには夏中毎日テレビでCM流された日にゃ、それだけで「イチャモン」のギアがトップに入る人はたくさんいるだろう。
でもそういう人の悪評はあまり聞かず、それどころか周りで映画を観に行ったという人の話すらほとんど聞かない。
こりゃ、予想以上にトンデモない駄作で、誰も映画を観に行ってないのかと思っていた。

だが、上記のバイアス抜きで観てみれば、それほど悪くない映画である。

娘と二人暮しの紗江子(天海祐希)はクリスマスにローマ旅行に行くが、そこで最愛の娘を誘拐されてしまう。
時を同じくして、ローマに赴任する外交官黒田(織田裕二)。
彼の任務はG8に出席する川越外相の警護だが、その任務自体は駐イタリア日本大使館の職員にも知らされてない。
彼の任務を知らないがため、「赴任直後で悪いけど、日本人が行方不明みたいなのでちょっと行ってもらえるかな」と黒田を紗江子の元に送る大使館員。
ここで黒田は、唯一日本語とイタリア語をしゃべれるという理由で事件に巻き込まれることになる。
誘拐事件は、やがて外相を巻き込んだテロへと発展する。

突っ込みどころはいろいろある。
一番の突っ込みどころは、日本人の子どもを誘拐しているのに、携帯での連絡はすべてイタリア語と言う点だ。
黒田が終始事件から離れられないのも、母親である天海祐希がイタリア語を話せないためだが、まず日本人を誘拐したらせめて連絡は英語でしてくるだろう。
イタリアに来てるからって、イタリア語がしゃべれる日本人なんてそうそういないって。
黒田を事件に縛り付けるための設定なのだが、さすがにこれは無理がある。

それと、大事件があった数日後なのに、大使館員が何もなかったかのように振舞っているのもちょっとおかしい。
また研修生と言えども、イタリア語がほとんどしゃべれない人間を外務省がイタリアに送るだろうか?
まあ、細かい突っ込みどころは結構ある。

じゃあ、それ以外の突っ込みどころはというと、これがそれほど大した事はない。
一人娘が外国で行方不明になったら母親は半狂乱になるだろうし、犯人から指示されたらなんでもするだろう。
犯人の動機である恨みについても、普通に納得できる。
母親にガンダムのプラモを捨てられて人生を悲観し、家に火をつけて自殺を図る人間が実在する世の中である。
仲間の敵を討つためにテロを企てるなんて、それから比べればまったく理解できる行動だ。
しかもその原因を世界にアピールするための、一番効果的なタイミングを狙っている。
天海親子もその時期を狙って、イタリアに呼び寄せられている。

映画の展開も、非常にテンポが良い。
メインキャストが一通り登場した段階で、事件の全容はほぼわかってしまうのだが、そこからもったいぶって黒幕を隠したりせず一気にラストへ向かって走り出す。
そのあたりは「20世紀少年」と違ってとても潔い。
おっと、危ない、危ない。
緊迫した場面で流れるサラ・ブライントマンの歌声もいい。

ただ、やっぱり織田裕二の黒田はちょっとクセが強すぎるかな。
と言うか、彼が「世界陸上」(今年じゃなくて2年前)の司会をやってなければそれほど気にならなかったのかもしれないが、あの悪乗りでちょっと織田裕二の印象変わっちゃったからねぇ。
「ホワイトアウト」の富樫は心に傷を負っていたのでなんとなく共感するところもあったが、今度の黒田はエリート過ぎてハナについた。
友人の福山雅治のモテぶりも同様だ。
あるいは、織田裕二と福山雅治が逆だったらよかったのかもしれない。

また、佐野史郎、大塚寧々などの役者を全然使いこなしてないところもやや不満ではある。

それと不満ではないが、このストーリーでなぜタイトルが「アマルフィ 女神の報酬」だったのか?
予告編でも散々もったいぶって「アマルフィ」を連呼していたのに、作品の舞台はほとんどローマだ。
でもそのあたりはおそらく原作を読めばわかるのだろうけど。

わざわざ映画館に観に行くほどでもないといえば、その程度の作品かもしれない。
でもおそらく今年の年末あたりにはすぐにDVDが出るだろうし、来年の年末年始には地上波でも放送するだろう。
その時に観るには悪くない作品だ。
たぶん悪評がそれほど伝わってこないのも、「さあどこで難癖つけてやろうか」と気合を入れて観に行った人が、意外と普通で拍子抜けして帰ってきたからだろう。

原作もぜひ読んでみたい、「積ん読」になってる本も多いんだけど。


66.アマルフィ 女神の報酬




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昨日の続きで「誰も守ってくれない」

一言で言うと、非常に秀逸な作品である。
ただ「*」が付いてしまう。
いわゆる、「アスタリスクマーク付き」ってヤツだ。
そう、バリー・ボンズの756号ホームラン記念ボールと一緒ね。

ある事件がもとで、家族は崩壊してしまう。
それは被害者家族はもちろんであるが、加害者家族においても同じことである。
これまで、事件の被害者家族を語る作品は、数多く制作された。
だが加害者家族に焦点を当てた作品は、おそらく初めてだろう。

そしてこの作品の秀逸な点は、被害者家族と加害者家族、双方の視点を生々しく取り上げている事だ。
少年犯罪とマスコミ報道というショッキングなキーワードに目が行きがちだが、これは家族の崩壊と再生をテーマにした映画なのだ。

加害者家族に警護がつくことは、警察では正式には認めてないらしい。
それは冒頭のテロップで説明された。

しかし殺傷事件だけでなく、汚職事件などでも家族の居どころわからなくなるという事はよくあるので(あくまで報道するマスコミが居どころをつかめないのだが)、おそらくは警察による保護もあるのだろうとは思っていた。
この映画が、実際の加害者保護をどれだけ忠実に再現しているのかはわからない。
しかし映画の中では、保護が人道的なものでなく、あくまでも参考人聴取に必要だからと割り切っている点は、逆に説得力が生まれている。

さらに、もしこの加害者家族を守るとしたら、いったい誰から守るのか?
CMや予告編を見ると、あたかもマスコミから守る、というように見えた。
この部分はやや残念である。
なぜなら本編で加害者家族は、ネットというメディアを使って攻撃を仕掛ける、一般市民から守られるというストーリーになっているからである。

ここの部分の出来も非常にいい。

ややネタバレになってしまうが、映画の前半部分では、まずは加害者宅前、そして避難先にも次々とマスコミが押しかけてくる。
そして佐々木蔵之助扮する新聞記者が、加害者の妹の志田未来と刑事の佐藤浩市を執拗に追う。
佐々木は佐藤浩市の3年前の事件をほじくり返し、糾弾キャンペーンを行うかの勢いだ。

ところがここから話は転じる。
佐々木が地道に取材を行っている間、ネットでは次々と個人情報が明らかにされて行く。
日本中に網を張るインターネット。
志田と佐藤浩市は逃げ場を失う。
取材を終えてデスクに戻った佐々木蔵之助は、ネットでの情報公開のスピードにただ驚くばかりだ。

一人を取り押さえても止まらない、ネットでの個人情報公開。
現代において、匿名の掲示板で行われる「暴力」の威力は、マスコミの「権力」など比ではないのだ。
最速で佐藤浩市の過去を暴き、スクープをものにしたつもりでいた佐々木。
しかし掲示板の書き込みのスピードについて行けず、自分が取り残されている事実に打ちのめされる。
そしてラスト近く、彼は相棒に向かってこう言う。
「なあ、オレはボールをキープしているつもりでいたんだ。でも、足もとが坂道で、ボールは転がって行ってたんだよ」


加害者となる志田の設定は、本人とほぼ同じ15歳。
微妙な年頃の、しかも女の子に設定した点は素晴らしい。
すでに社会の状況が理解できる年ではあるが、感情では自分の置かれた立場を理解することができない。
いや認めたくないのだ。
だから自棄になって滅茶苦茶な事もする。
自分も同じ年頃の娘を持つ佐藤浩市は、そんな彼女に必要以上の同情を感じ、非情になりきれない。
二人の距離感も絶妙だ。

そしてこの映画の一番の見どころは、柳葉敏郎と石田ゆり子の夫婦が経営するペンションのシーンだ。
この二人は、かつて覚醒剤中毒の通り魔に、3歳の息子を殺された被害者家族である。
この事件には、佐藤浩市も深くかかわっている。
志田と佐藤浩市は、このペンションに身を隠すことになる。

夫婦はとても優しくて穏やかだ。
だがそれは本心ではないのかもしれない。
被害者家族にとって、嘆き悲しみ、怒りを誰かにぶつけても、自分が傷つくだけなのだ。
だから意識的に、心を平静に保つ必要があるのだ。

けれども人間だから当然、何かのきっかけでいつもは封印していた怒りが爆発してしまう。
そして封印されていた分、その怒りは激しさを増す。
あふれ出す怒りを、誰も止めることはできない。
ほんの10分ほど前まで親しく話していた人にも罵声を浴びせる。

被害者家族、加害者家族とも、「なんでこんな事になったんだろう」と、何十回何百回と考える。
しかし答えは出てこない。
答えの出ない迷宮に入り込んでしまったとき、人は何に救いを求めるべきなのか。

この映画では、その答えを「残された家族」と定義付けている。
それは家族に起こった問題は、家族にしか解決できない、という事なのかもしれない。
劇中、加害者本人や、ある意味責任を追及される立場である保護者をほとんど登場させず、徹底して「加害者の妹」という視点から映画を作っている点も、効果を発揮している。
家族を再生させる事ができるのは、おそらく一番冷静に家族を見ることができる、彼女だけだからだ。

問題は根本的な解決を見せず、明るい見通しはほとんどない。
その中で、柳葉石田夫妻に差しこんだ小さな希望の光が、ラストに感動を与えてくれる。

で、ここまで褒めてきたが、それでも「*」が付いてしまう。
何かと言うと、先週放送されたTVドラマ「誰も守れない」だ。

このドラマ、単なる映画の宣伝のために急遽作られたものかと思っていた。
実際ドラマ自体の内容は、かなり無理やりで大した事なかったし。
ドラマを見ておくと、映画の方も若干楽しめるかな、という感じだった。

だが違う。
このドラマには、映画の伏線が随所に張られてあったのだ。

例えばカウンセラー医の木村佳乃。
ドラマを見てないと、「こいつ本当は刑事の愛人じゃないの?」という疑問さえ出てきそうな雰囲気だ。
だがドラマの中で、佐藤浩市と木村佳乃の信頼関係がバッチリ描かれている。
逆に言えばドラマを見てないと、「なぜここで木村佳乃?」と、クエスチョンマークが頭の上に出まくってしまう。

そして佐藤浩市と松田龍平。
映画だけ見ると単なる中の良い相棒だが、ドラマの中では松田龍平が覚醒剤中毒患者となり、二人の激しいやりとりが展開されている。
だからこそ映画では抑えめの、松田龍平の渋い役どころが際立つのだ。

松田「娘さんと付き合っていいっすか?」
佐藤「シャブ漬けにするぞ、てめぇ」

二人のこんな掛け合いもあるのだが、あの事件の後でこんな軽口が叩けるほど、二人の信頼は厚くなっているのである。

なので秀逸な作品だとは思うのだが、最初にドラマを観てない人にはちょっとわかりづらいかもしれないので、強くは勧められない。
まあドラマを観てなくても、本筋の「家族の問題」の部分に影響はないから、いい作品だとは思うんだけどね。

それと一部、2ちゃんねらーとおぼしき若者が多数登場し、全員がいかにも「アキバ系」という格好をしている点は、ちょっとどうかなと思った。
あそこはあえて普通の格好の人も混ぜた方が、よりリアリティが出たんじゃないかと思う。
そこまですると本当に生々しくなっちゃうから、あえてそういう演出にしたのかもしれないけど。


10.誰も守ってくれない
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公開中の映画「「誰も守ってくれない」の前段の話となる、ドラマの「誰も守れない」が放送された。

「誰も守れない」と言うのは、「誰もその人を守ることができない」のか、「自分が誰も守れない」のか、どちらの意味かわからなかったが、ドラマの内容からは、おそらく後者ではないかと思う。
でもはっきり言って、タイトルと内容の関連性がよくわからなかった。

と言うのも、ドラマ自体は一応筋立てはあるものの、完璧に映画の布石。
佐藤浩市演ずる勝浦と、松田龍平演ずる三島の距離感や、それぞれのバックグラウンドなどが中心となっている。

カウンセリング医師の悪評が立ったり、闇の裏サイトなんていうネット社会について取り上げているのも、おそらく映画の布石になっているんじゃないかと思う。
このドラマを観ておけば、映画を観た時に「なるほど」と思えるシーンがあるのだろうが、観てなくても映画自体は楽しめるんじゃないかとも思う。

まあ、そんな感じで作られたんだろう。

ただちょっと思ったのは、この三島を演じている松田龍平が、とても松田優作に似てきた事。
父親と比べるとやや繊細な感じがするが、逆にその部分がいい味にもなっている。

「恋の門」ではコミカルな役柄で、父親とは違う路線を進むのかと思ったが、父親と同じ路線もなかなかいけるかもしれない。



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