<   2014年 09月 ( 21 )   > この月の画像一覧

日曜にテレビ東京で放送された「元祖大食い王選手権」を観た。

だいたい春の女王戦、秋の大食い王戦は毎回観ているのだが、今年の春の女王戦は見逃していた。
そしたら、なんだか出場選手がガラっと変わっており、まったく知らない選手ばかりになっていた。
まあ、今までの出場者ではだいたいメンバーが固定されてきており、かつ勝負付けもほぼ済んだ感があるので番組的には新しい出場者でリフレッシュしたかったのだろう。

その中で光っていたのはやはり「もえあず」こと、もえのあずきだ。
AKBよろしく、秋葉原で活動しているアイドルグループの一員らしい。
実は、ちょっと前に私の会社の仕事もしていたので、顔と名前くらいは知っていた。
さらに、私の好きな大食いファイター三宅智子のブログにもちょくちょく登場していたので、まあそこそこ食べるんだろうなと言う印象は持っていた。

とは言え、本職はアイドルだ。
かつてSDNにも所属していた光上せあらがそこそこ健闘はしたものの、大食いファイターで名を上げた歴戦の勇者にはやはり太刀打ちできなかった。
なので、もえあずもやっぱりそんな感じで「番組の華」的存在なんだろうと思っていた。
だが実際にはかなりの実力者だった。

春の女王戦では3位だったが、今回はその時に負けた女王の服部理沙と2位の桝渕祥与を決勝前に撃破して雪辱を果たした。
しかも、準々決勝のエビ対決では堂々の1位通過。
準決勝も2位で通過している。
決勝では新チャンピオンの渡邉康仁に敗れたものの、スコールと言う最悪のコンディションの中かなり頑張っていた。
もちろんアイドルとしての自分の立ち位置も決して忘れずに振る舞っており、スター性という意味ではかなり有望である。

優勝の渡邉康仁は謎の人物だ。
そもそも前回優勝の復活キング山本や、ここ数年かなりの強さを見せた木下がなぜ出場してないのか気になったが、この渡邉もひょうひょうとしながら勝ち上がると言うなかなかいいキャラクターなので、テレビ番組的にはきちんとまとまっていた。
山本はもう出演しないかもしれないが、木下との闘いは見てみたい気がする。

その他では、春は5位で今回3位だった「ゆりもり」こと石関友梨もなかなかの有望株だ。
メイクアーティストとの事だが、若干キャバっぽい部分はあるものの美しい見た目に秘めたド根性は、大食い番組としてはかなりありがたいキャラである。
そういう意味では、4位の桝渕祥与も素晴らしい。
元ミス鎌倉で現役女子大生らしいが、見た目もかなりイケててグラマラス、しかもとんでもなく負けん気が強い。
年が若い事もあり暴言も多いので、これまたテレビ番組的には嬉しいキャラである。

一方、前回チャンピオンの服部理沙はちょっとキャラが弱い。
おそらく性格がメチャメチャいいのだろうが、他の選手の健闘を見て泣き過ぎだ。
今まで大食いファイターにはこういうキャラがいなかったので、新たなキャラとして定着するのもいいかもしれない。
相手に同情しながら勝負には勝っちゃうキャラだ。
だがそのためには、やはりもう少し安定した強さがないと面白くない。
このままでは、ただの決め手に掛ける脇役扱いである。
今回は準決勝で早々に敗退してしまった事もあり、もうちょっと実力を上げて欲しいところだ。

その他、今回の本選出場者は男も女もかなりキャラ立ちしていて面白かった。
ここまでの出場者では、復活の山本を除くとやはり木下が実力的に一歩抜けているので、今回の挑戦者 VS 木下という図式を来年の大会では見てみたい。

若干「終わった」感のあった大食い番組だが、ちょっと息を吹き返してきたかもしれない。


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本日は秋分の日。
天気もいいので墓参する人もさぞ多いだろう。
両親の墓参は雨の中土曜日に済ませたが、昨日は出勤前に母方の墓参のため渋谷へ。

母方の菩提寺は渋谷の東にある。
と言ってもわかりづらいと思うが、渋谷から見て並木橋のちょっと先、ちょうど渋谷と恵比寿の中間あたりである。
母の両親は私が生まれるずっと前に亡くなっているため、私は生まれた直後から渋谷に墓参に行っていた。
なので小学生くらいまで、私にとって渋谷と言えば墓参に行く場所だった。

かすれ気味の記憶では、かつてプラネタリウムがあった東急ビルと渋谷駅の間に、路面電車の停留所があった事を覚えている。
はっきりした記憶では、今よりも大きいバスターミナルがあった。

行きは渋谷の駅から渋谷警察所に向かって歩道橋を歩くのだが、帰りにこの歩道橋を通るときには東横線のホーム横にある看板を見る事になる。
で、ご存じの通り、副都心線と東横線が乗りいれて駅が地下に潜ったため、山手線と並行していた東横線ホームはお役御免となった。
その後、ホームの跡地は展示会やコンサートに利用するなんて聞いていたのだが、昨日見たらすっかり解体されていた。
下にあった東横のれん街も潰されて、どうやら新しいビルを建てるようだ。
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ちなみに、線路はどうなったかというと、こちらも高架部分を取り壊しているようだ。
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写真は東交番前の交差点から山手線の線路寄りに少し入ったところ。
もう500メートルくらい取り壊されている。
この跡地がどうなる気になるところだが、遊歩道にでもなると、墓参に行くのもちょっと楽しくなるかもしれない。

最近はセンター街もほとんど行かなくなったし、ヒカリエができて随分渋谷も様変わりしたが、まだまだ変わっていくんだろうな・・・。


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8/15~9/14までの31日間で、本年2回目の1カ月無料のTOHOシネパスポートを使って28本の映画を観た。
すでに感想はすべて書いたが、まとめると以下の通り。
「◎」の付いた4作品は超オススメだ。

 ジゴロ・イン・ニューヨーク
 パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト
◎怪しい彼女
 複製された男
 プレーンズ2ファイアー&レスキュー
 STAND BY ME ドラえもん
 るろうに剣心 京都大火編
 幕末高校生
 バルフィ!人生に唄えば
 トランスフォーマー/ロストエイジ
 TOKYO FANTASY SEKAI NO OWARI
 宇宙兄弟#0
 喰女-クイメ-
 イントゥ・ザ・ストーム
 バトルフロント
 思い出のマーニー
 グレートデイズ! 夢に挑んだ父と子
 LUCY/ルーシー
 TOKYO TRIBE
 ルパン三世
◎マルティニークからの祈り
 プロミスト・ランド
 イン・ザ・ヒーロー
 フライト・ゲーム
◎舞妓はレディ
 るろうに剣心 伝説の最期編
 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー
◎猿の惑星:新世紀(ライジング)

この間、これ以外にギンレイで以下の4本の映画を観ている。

ダラス・バイヤーズクラブ
あなたを抱きしめる日まで
ある過去の行方
とらわれて夏

合計で31日間で32本の映画を観た。

ちょうど、8月末から9月中旬にかけて公開される映画が多かったので、フリーパスポートをこの時期に設定してみたが、「◎」を付けた4作品以外でもまずまずの作品が多かった。
なのでいいところでフリーパスポートを使ったと言っていいだろう。

1日1本以上のペースだが、たぶんもうこんな経験は今後の人生でもまずないと思う。
ペースで言えば、おそらくマイルを貯めて次にフリーパスポートを取得できそうなのは、来年の夏以降。
読みとしては「ヱヴァ3.0+1.0」が公開する頃だと思われるので、フリーパスポートを使って観倒そうかと考えている。


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1か月のフリーパスポートが切れるところだったが、ちょうど3連休の先行ロードショウで観る事ができた。

今年はガツンと来る映画が少なかったが、この映画はストーリー、画面の迫力ともガツンと来る映画であった。
正直、前作の「創世記」からオリジナルの「猿の惑星」につながる「つなぎ」的な作品かと思ってあまり期待していなかったのだが、この作品だけでも映画として完結しており十分見応えがある。

前作は、サンフランシスコでシーザー率いるエイプたちが反乱を起こし、人間と決別するところで終了している。
それから15年後。
人類は生還率1/500と言う猿インフルエンザの流行により、絶滅の危機に瀕していた。
一方シーザー率いるエイプたちは、コミュニティを形成し平和に暮らしていた。

ある日、エイプたちの縄張りに人間が紛れ込んでくる。
出会い頭で遭遇したエイプと人間は、驚きのままお互いに威嚇を始める。
だが猿インフルエンザを恐れる人間は、同時に猿の接近も恐れていたためつい発砲してしまった。
銃声を聞きつけて仲間の人間とエイプたちが駆け付ける。
両者がにらみ合うところにシーザーが来たため争いは回避できたが、シーザーは人間にこの場をすぐに立ち去るように告げる。
また別の日に、エイプの軍団を引き連れて人間の居住区を訪れ、二度と自分たちの縄張りに立ち入らないように警告する。

しかし人間には、どうしてもシーザーたちの縄張りに行かざるを得ない理由があった。
これまで固形燃料を使用して生活してきたが、その燃料が底を尽きかけているのだ。
生活のために電力を確保するには、シーザーたちの縄張り内にある水力発電所を稼働させなければならない。

マルコム(ジェイソン・クラーク)はエイプたちを説得するしかないと考え、再度シーザーに対話を申し入れた。
銃火器を持つ人間と争えば、最後は勝つかもしれないがエイプ側にも大きな損害が出ると考え、シーザーは人間との争いをできるだけ回避しようと考えた。
人間に電力を与えればさらにエイプの生活が脅かされると、仲間たちは人間の要求を拒否しろと叫ぶ。
しかしシーザーは仲間たちを抑えて、マルコムたちに水力発電を再稼働する作業を認める。

シーザーは条件として銃火器の放棄を求めた。
マルコムたちはその条件を飲みシーザーたちに銃火器を渡す。
しかし一人だけ銃を隠し持っていたメンバーがいて、生まれたばかりのシーザーの子どもが荷物を触った時にそれが露見してしまう。
なごやかな雰囲気のまま作業が続いていたのに、一転して緊迫した状況になってしまった。
その段階で成人に近いシーザーの息子ブルーアイは、人間への猜疑心を深めてしまう。

シーザー自身もこのまま人間が自分たちの縄張りに長く居続けることはよくないと考え、作業を1日で終えるようマルコムに要求する。
そのためにはエイプたちが作業を手伝う事も約束する。
結果として人間とエイプが共同作業をする事になるのだった。

しかしエイプと人間が共同作業する事を、面白く思わないエイプもいた。
シーザーの旧知の仲間、コバである。
コバは人間の実験施設にいたのだが、シーザーに助けられた。
そのためシーザーのためなら命も辞さない覚悟があった。
だがシーザーは、自分より自分を切り刻んだ憎き人間を信頼しようとする。
コバは人間が危険であると必死にシーザーを説得するものの、逆に人間を護ろうとするシーザーにボコボコにされてしまう。
シーザーに絶望したコバは、ブルーアイを巻き込んで反乱を企てるのであった。

とにかく巧いのが、人間とエイプたちの距離感だ。
マルコムやシーザーはお互いを理解しようと努力するが、普通の人間は普通にエイプたちを恐れ、エイプはエイプで普通に人間を憎み、恐れる。
このあたりの描き方がとても自然だ。
その状況の中で、人間とエイプの関係が微妙に良くなったり悪くなったりする。
巧く行きそうだなと思わせた次の瞬間にトラブルが発生するため、メリハリにハラハラドキドキさせられる。

さらに、猿の行動習性を巧みにストーリーに取り入れている。
エイプは人間と違って仲間を決して殺さない、エイプのリーダーは常に強い者で、グループはリーダーに絶対服従、などである。
このエイプ内のルールが破られた時、あるい意味エイプは我々の考える猿からさらに一歩進化する。
エイプが銃を持って反乱を起こすのだ。

そして突き詰めて考えると、この映画の題材は人間とエイプであるが、人間同士でも、人種間の過去の争いを忘れられず、お互いを信じきれずに争いに発展するケースは少なくない。
闘いの火種という観点からも、まったく無理がない。
また、コバの立場の描き方も巧いため、シーザーがもう少しコバの気持ちを汲んで説得していれば、エイプの暴走もなかったんじゃないか、とも思わせる。
ブルーアイはコバに窮地を助けられており、かつ最初に人間に遭遇した時に銃口を向けられている。
そのため父親を信じながらも人間への猜疑心を捨てられず、コバに同調する部分もある。
コバの怒り、諦め、ブルーアイの戸惑いの表情も見事である。

そして、クライマックスの戦闘シーンは迫力満点だ。
そんじょそこらのアクション映画よりもよっぽど素晴らしい出来である。

シーザーの最後の言葉も含蓄があり、まさにリーダーと言う感じだ。
ギリギリまで人間との戦争を回避したかったシーザーであるが、すでに公開時期が発表されている次回作ではおそらく人間とエイプとの全面戦争になるのだろう。

個人的には、前作の「創世記」をはるかに上回る完成度だと思う。
「前作観てないからなぁ」と言う人にも、是非お勧めしたい作品だ。


134.猿の惑星:新世紀(ライジング)



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マーベル・スタジオズが制作と言う事で期待して観に行ったのだが、この映画単体の評価としてはガッカリする内容だった。
そもそも、「アベンジャーズ」にもつながる壮大な大河シリーズの序章となるべく作品なのだろうが、いくらなんでもいろいろな要素が尻切れトンボで終わり過ぎだ。


スター・ロードことピーター・クイル(クリス・プラット)は、少年のころ地球から誘拐され今はラヴァジャーズという宇宙盗賊団の一員になっている。
ある日、クイルはラヴァジャーズのリーダーのヨンドゥ・ウドンタが狙っていたキューブを横取りし、彼の逆鱗に触れる。
ヨンドゥ・ウドンタはクイルの首に賞金を掛けるが、それを目当てにアライグマの姿をしたロケットとその相棒の植物人間のグルートがクイルを追いかけはじめた。
それとは別に、クリー人のロナンもキューブを追っていた。
ここからが少々ややこしいのだが、そもそもキューブを追っていたのはサノスという悪の親玉のようなヤツだ。
ロナンは仇敵のザンダー人の根絶やしを引き換え条件に、サノスにキューブを渡す事を約束する。
そしてロナンは、サノスから預かっていたガモーラという女性の戦士にキューブ探索の命令を行った。

こうしてクイルはロケット、グルートのコンビとガモーラから追われる事になるのだが、キューブをめぐっての騒動中に、4人ともノバ帝国の警備隊に捕まってしまう。
4人は結託して刑務所から逃げ出すのだが、その時にロナンに恨みを持つマッチョ戦士ドラックスが仲間に入った。

キューブの価値を知った4人は、コレクターのタニリーアに高値で売却をしようとする。
しかしロナンに敵討ちをしたいドラックスが、キューブのありかを教えてロナンを呼び寄せてしまった。
すぐに駆けつけたロナンと対決するドラックスだが、相手にならず敗北し、ロナンはキューブを手に入れる。
そしてキューブの持つ力の秘密を知ったロナンは、キューブをサノスに渡さず自らの手で、サイダー人滅亡のためノバ帝国に向かう。

ストーリーの基本は、キューブの争奪戦である。
その中で、各キャラクターのバックボーンや性格などが説明されていく。
だが登場人物が多すぎるため、相関関係が非常にわかりづらい。
TVシリーズの第1話ならまだしも、映画としてはキャラクターを一気に登場させ過ぎだ。
この映画で明らかにされなかった謎は、当然この後のシリーズで解明されるのだとは思うが、まずもってラスボス的なサノスが一体どういうキャラなのか、まったくわからない。
ロナンはサノスを裏切ってキューブを渡す事を拒否するのだが、サノスとロナンの関係がほとんど説明されないので、それがどれだけ重要な出来事なのかまったく伝わってこない。
この映画を観た限りでは、サノスはロナンに裏切られた間抜けなオッサンである。

また、たぶんノバ帝国とはサイダー人の作った国家なのだと思うが、サイダー人とクリー人の関係も今一つわかりづらい。
この二つの人種間にどのような遺恨があるのか、また、ノバ帝国にいるサイダー人以外の人種はどういう関係なのかがサッパリわからない。
さらに、ロナンの手下はクリー人ではなくサカール人との事。
ラヴァジャーズも多民族の盗賊団に見えるため、こうなるとどの人種と人種が仲が悪くて、どの人種が仲がいいのかまったくわからなってくる。

ラストシーンを見ても、シリーズの第1作であることはよくわかるのだが、それにしてももう少し単体の映画としてまとめて欲しかったと思う。


133.ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー


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「京都大火編」に続く「伝説の最期編」。
原作はもっと後のシリーズラスト近くしか読んでいないので、このエピソードは未見である。
だから原作にどれだけ忠実かはよくわからない。
とは言え、ちょっと雑な作りだったかなという印象だ。

志々雄一派の京都を焼き尽くすという計画はダミーで、軍艦による新政府転覆が本当の目的であった。
堺から軍艦で出港する志々雄たちを剣心は追うが、船上での戦いの最中、船から落ちた薫を救うべく嵐の海に飛び込む。
濁流で薫を見失い、自らも意識を失う剣心。
浜に打ち上げられたところ、偶然師である比古清十郎(福山雅治)に拾われる。

ここまでが「京都大火編」。

「伝説の最期編」では、比古清十郎の元、飛天御剣流の奥儀を究めたいと師匠に懇願する剣心。
修行の最中、師匠から「お前に足りないのは『生きたい』という思いだ」と教えられる。

一方志々雄一派は、浦賀沖に軍艦を止め新政府に剣心を斬首にするよう要求する。
新政府は志々雄の要求を飲み、江戸にもどった剣心を捕らえ、志々雄の前で斬首刑にしようとする。
しかしそれは芝居で、剣心たちは十本刀達を倒して軍艦に乗り込む。
軍艦には、志々雄とかつて逆刃刀を折った瀬田宗次郎が待ち受けていた。

相変わらず、殺陣は素晴らしい。
それだけでも観る価値はある。
だが、脚本と演出がイマイチ。
クライマックスは船内でのバトルとなるのだが、剣を交えている最中のセリフが多すぎる。
剣を振っている最中にセリフが入るたび、緊迫感が削がれてしまう。
セリフはせめて、間合いの最中にまとめて欲しい。

もっと細かい部分で言えば、剣心は堺の近くで海に落ち、関西のどこかの浜で比古清十郎に助けられる。
だが、志々雄の軍艦が浦賀に入った後、浜に打ち上げられた剣心を見た地元の漁師が捕らえられてくる。
その漁師はいったいどこの漁師なのかと突っ込みたくなった。

ストーリーの矛盾や粗は無視して、殺陣だけ楽しもうと思って観に行ったが、殺陣が素晴らしいだけに、それ以外の粗が目立ってしまう。
原作はまだ続きが残っているので、もしこの後のエピソードも映画化するのであれば、もうちょっと脚本と演出も頑張ってほしい。


132.るろうに剣心 伝説の最期編


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舞妓になる女の子が主人公と言う事で、「マイ・フェア・レディ」を元にしているのはタイトルだけかと思ったが、内容もきちんと「マイ・フェア・レディ」を元にしている。
リメイクとまでは行かないが、「マイ・フェア・レディ」リスペクト作品と言っていいだろう。
「Shall we ダンス?」以降、「それでもボクはやってない」も含めやや迷走した感もあった周防正行だが、今回はエンターテイメント作品としてキッチリ仕上げてきた。

千春(富司純子)が運営するお茶屋の万寿楽(ばんすらく)は、舞妓が娘の百春(田畑智子)一人しかいない。
しかも百春はすでに三十路間近、舞妓としてあるまじき年齢で、周りからも失笑をかっている。
百春本人もその事を気にして早く芸妓になりたがっているのだが、彼女が芸妓になるとお茶屋に舞妓がゼロになってしまう事もあり、しぶしぶ舞妓を続けている。
そんな百春はブログで日記を公開し、客寄せの営業活動とともに舞妓希望者へのアピールも行っていた。
そのブログを見て京都にやってきたのが、舞妓志望の春子(上白石萌音)だ。

春子は10歳まで鹿児島、その後の6年間を青森で祖父母と暮らした過去を持つ。
そのため、強烈な鹿児島弁と青森弁のミックスした不思議な方言を喋る。
舞妓に必要なのは京言葉であり、春子に舞妓は無理と判断した千春は、春子に田舎に帰るように言う。
しかしちょうどその場に居合わせた言語学者の京野(長谷川博己)が、彼女を舞妓にしようと言いだす。
京野は一度は青森に帰った春子を京都に連れ戻し、千春に頼んで春子を万寿楽の見習いとし、京ことばのレッスンを始める。
春子は最初、「おおきに」「すんまへん」「おたのもうします」という京ことばの三大要素から学習を始めるが、「はい」を意味する「へぇ」すら巧く言えない。
京ことばの独特のリズム、イントネーションを京野から指導されるだけでなく、日常の使い方まで周囲の人間から厳しく注意される春子。
さらには、厳しい舞妓の常識、お稽古事などでストレスが溜まり、イップスの失語症になってしまう。

方言のキツい田舎出身の娘を言語学者がレッスンすると言う部分も、「マイ・フェア・レディ」がモチーフになっている。
京ことばのレッスン中に出てくる「京都の雨は主に盆地に降る」はもちろん「マイ・フェア・レディ」の「The rain in Spain stays mainly in the plain」である。
京野が春子に京ことばをしゃべらせられるようになるか賭けると言う部分も、しっかり「マイ・フェア・レディ」が下敷きとなっている。
年の差を超えて春子が京野を好きになってしまうと言う部分も押さえられている。

ミュージカル部分の作りもよい。
特に、ラストで舞妓姿で踊って歌う上白石萌音は素晴らしいの一言だ。
ハッキリ言って、妹の萌歌と比べるとスタイルも微妙であまり美形とは言えない。
身長は富司純子の3/4くらいしかないのに、顔と頭は上白石萌音の方が大きい。
ところがこのモッサリ感が、この物語の春子にピッタリである。
『東宝「シンデレラ」オーディション』で妹とともに芸能界入りしているのだが、この映画ありきで受賞したような気がする。

それと、草刈民代の演技も素晴らしい。
バレエ出身だけにダンスの巧さは当たり前かもしれないが、この人は作品を重ねるごとに演技の幅をどんどん広げていく。
「終の信託」での女医も、迫真の演技だった。
今回はコミカルな役どころだが、厳しい先輩芸妓が作品全体にも巧く機能している。
富司純子、田畑智子ももちろん巧いのだが、これまでのイメージを超えた演技と言う意味で、草刈民代には驚かされた。

今回は女社会の花街が舞台と言う事で、京野役の長谷川博己も含め男優陣は抑え目の役どころになっているが、それがまたストーリーの面白さを引き出している。

笑わせて泣いて、しっかりエンターテイメントのツボを押さえた良作だ。
今年の邦画は「小さいおうち」以外にこれといった映画がなかったので、おそらく各映画賞はこの作品と「小さいおうち」の一騎打ちになるだろう。
上白石萌音は、ひょっとしたらどこかの主演女優賞を獲ってしまうかもしれない。

「マイ・フェア・レディ」を知っていればより楽しめるが、知らなくてもOK。
家族で観ても楽しめて、観た後は誰もが楽しい気分になれる、文句なしおススメ二重丸の作品である。


131.舞妓はレディ


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今回は「とらわれて夏」を目的にギンレイへ。
併映の「ある過去の行方」も未見なので観ておく。

まず「ある過去の行方」。

アーマドは4年前に、妻マリーと娘二人を残してパリを離れ、故郷のイランに戻っていた。
そしてマリーから正式な離婚手続きを要求されたため、久しぶりにパリの地を踏む事になった。

かつての自宅を訪れると、そこには見知らぬ少年がいる。
マリーはすでに新しい恋人のサミールと暮らしており、その息子のフアッドも同居していたのだ。
そして、長女のリュシーとマリーの折り合いがよくない事を知り、マリーからリュシーの本音を聞き出すようお願いをされる。
リュシーはアーマドの実の娘ではないが、実の父親よりアーマドを信頼していたからだ。
リュシーから話を聞くうちに、マリーがすでにサミールの子どもを宿している事、サミールは既婚者で植物人間状態の妻がいる事、そしてその妻が植物人間状態になってしまったのは、サミールとマリーの不倫が原因で自殺未遂を起こしたためである事を知る。

予告編を観た限りでは、自由奔放なマリーに振り回される、アーマドと娘たちの交流の話かと思った。
しかしそうではなく、ストーリーはサミールの妻の自殺の原因を探る方向へと発展して行く。
そのため前半と後半で別の映画になってしまったような印象を受ける。
前半ではアーマド、マリー、リュシーの距離感が主題になっているのに、クライマックスに近づくにつれてこの3人の登場が減る。
代わりにサミールと、彼の妻が自殺する直前まで接していた従業員の駆け引きが展開する。
この構成だと、そもそも誰が主人公なのかまったくわからない。
家族の心の触れ合いをテーマとしたいのか、あるいはミステリーの映画を取りたかったのか、制作者の意図するところも見えてこない。
題材としては面白くなりそうな雰囲気があるのだが、ストーリーの展開に失敗して収集がつかなくなってしまった印象を受ける。


続いて「とらわれて夏」。

アデル(ケイト・ウィンスレット)とヘンリー(ガトリン・グリフィス)の親子は、小さな田舎町に二人で暮らしていた。
父親も同じ町で暮らしているが、秘書と再婚して彼女の連れ子、そして彼女との間に生まれた子どもと暮らしている。
アデルは父と破局した事で心を病んでおり、ヘンリーは父から同居をすすめられるが、母が気がかりなためアデルと一緒に暮らしていた。
しかしヘンリーがアデルを気遣う暮らしは、閉塞的で重苦しい雰囲気になっていた。

ある夏の終わり、アデルとヘンリーはショッピングセンターに買い物に行く。
そこで脱獄囚であるフランク(ジョシュ・ブローリン)に助けを求められる。
アデルは当然身の危険を感じて断るのだが、なぜかヘンリーはフランクを怖がる事もなく、そのまま彼を家にかくまう事になってしまった。
フランクは至って紳士的であったが、最初はアデルはフランクを警戒していた。
フランクもアデルを信用していなかった。
しかし事態を冷静に把握して、できるだけ親子に迷惑がかからないよう献身的に振る舞うフランクを見て、だんだんアデルも心を開いていく。
ヘンリーは父親代わりにいろいろと教えてくれるフランクを頼もしく思っていたが、二人が仲良くなると自分が捨てられてしまうのではないかと不安になる。
だが当然そんな事もなく、3人はわずか5日間で家族としての強い絆を作り上げてしまう。

そして、カナダで新生活を始めようと準備する3人。
しかし小さな町で脱獄囚をかくまう事は難しく、警察がフランクを捕獲しにやってくる。

フランクとアデル親子が出会ってからのストーリー展開が秀逸だ。
元々アデルとヘンリーも、親子でありながら微妙な距離感にある。
そこにフランクが入る事で、最初は3人が3人とも距離を持ちながら接する物の、時間を追うごとにその距離を詰めて行く。
そしてフランクとアデルが親密になる事により、一時期ヘンリーが疎外感を感じるのだが、それを乗り越えると完全に家族の形となる。
さらにそれまでは、フランクが逃げ切れそうな雰囲気であったのに、3人が新しい生活の準備を始めたとたん、フランクの身が危なくなってくる。

クライマックスでフランクに警官が迫った後の後日談は、ヘンリーの回顧のセリフのみで語られるので、ちょっと駆け足のようにも思える。
しかし、フランクの誠実さとアデルの悲しみ、戸惑い、喜びが強く感じられる作品だ。

あまり恋愛映画は得意ではないのだが、この作品は観て良かったと思った。


129.ある過去の行方
130.とらわれて夏


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そして新劇場版3作品だ。

「序」が地上波放送3回目、「破」が2回目、「Q」は初めてだが劇場で5~6回観ている。
なので個人的には、旧劇場版よりもこちらの方のイメージが強い。

で、改めて3作品並べて見てみると、やっぱり「Q」の違和感がもの凄い。
「破」はカヲル君がMark.6で地上に降り立ったところで終了するのだが、「Q」はそこからいきなり14年後、しかも何の説明もなくスタートする。
ずっと眠り続けていたシンジはともかく、アスカとマリも見た目が変わっておらず、ミサトとリツコも雰囲気は若干変わったものの、あまり変化がない。
鈴原サクラが登場してはじめて、これが14年後の世界だとわかる。
それが、映画がスタートしてから30分近く経ってから。
そこで見ている者は、「えっ?『破』のラスト部分はどうなっちゃったの?」状態になる。

TV放送の際にはすべてカットされているが、実際に劇場で放送された時には「序」も「破」の「Q」も、エンドロールの後に次回予告が入っている。
「破」の次回予告では「セントラルドグマに向かってメインシャフトを降下するMark.6」と言うミサトのセリフもあったのだが、「Q」では「破」の後に起こった「ニアサードインパクト」の表現はすべて吹っ飛ばされており、カヲル君が状況説明をするにとどまっている。
しかしその説明も抽象的で、具体的に何が起こったのかよくわからない。
「インフィニティのなれの果て」というカヲル君のセリフがあるが、「インフィニティ」がなんなのかもまったくわからない。

ただ、「Q」で13号機とMark.09がメインシャフトを降下すると、そこには自立型に改良されたMark.6がいる。
Mark.6がメインシャフトを降下した事実がある事が、状況で説明されている。
なのでひょっとすると、この後の作品でこの部分が描かれるのかもしれない。

個人的には、「破」のクオリティは日本アニメ史上最高作品だと思っているので、次回作でぜひ「ニアサードインパクト」を描いてい欲しい。
でないと、シリーズ全体が単なる駄作に成り下がってしまう。

なお、今回の放送後、これまでオフィシャルサイトで次回作のタブに「FINAL」と書かれていたのが、「3.0+1.0」と言う表現に変わった。
巷では「1.0」の「序」と「3.0」の「Q」が結びつくのではないか、というまことしやかな噂が流れている。
ただ私は単純に、「FINAL」が「4.0」に変わっただけなんじゃないかと思う。
それが何を意味するかと言うと、次回作で終了ではなくもう何作品か作られる、という事だ。
単なる私の妄想かもしれないが、次回作は「ニアサードインパクト」およびストーリーゼロ的な前日譚で構成され、その次の作品で本当のラストが描かれるんじゃないかと思う(「Q」の次回予告の場面)。

いずれにしろ、次回作が待ち遠しい。
今回の放送後に、次回作の公開日が発表になるかと期待していたが、そうではなかった。
今の目標は「新劇場版全シリーズを観るまで死ねない」なので、私の寿命が尽きる前に、早く全作品を公開してもらいたいものだ。


126.ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序(再)
127.ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破(再)
128.ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q(再)



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TOHOシネマズのフリーパスポートを手に入れたので、時間を作ってはせっせと劇場に足を運んでいたのだが、この間日テレはヱヴァ祭りを放送していた。
旧劇場版2作と、新劇場版3作品を連続放送する企画だ。

ちなみに旧劇場版2作は、公開から17年以上経過しているが今回が地上波初放送だ。
そして地上波初放送にも関わらず、関東ローカルで月曜日の深夜25時くらいからの放送である。
さらに「Air/まごころを、君に」の方は、一部画像が放送できないため画面一杯にロゴが表示され音声だけが流れると言うスゴイ放送であった。

それはそれとして、実は私自身、旧劇場版のうち「DEATH (TRUE)2」の方は初見であった。
「Air/まごころを、君に」は過去に観た事があったのだが、「DEATH (TRUE)2」の方はTV版の総集編だから見なくても大丈夫と聞いていたからだ。
なお「DEATH (TRUE)2」は当初「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生」の「DEATH」編として制作されたが、WOWOWで放送される際に「DEATH (TRUE)」となり、1998年に「REVIVAL OF EVANGELION」として劇場公開されたときに「DEATH (TRUE)2」になっている。
「DEATH」、「DEATH (TRUE)」とも見た事がないし、今後もたぶん見ることはないので内容の差異についてはよくわからない。
「シト新生」公開時の「REBIRTH」編は、そのまま「Air/まごころを、君に」の前半部として組み込まれているらしい。

で、「DEATH (TRUE)2」であるが、たしかにTV版の再構成だった。
とは言え、エヴァのパイロット達が管弦楽の練習をしているイメージシーンなども入り、これはこれで趣があった。
しかも、人類補完計画や使徒などの物語の根幹にかかわる謎よりも、パイロットたちの内面にスポットを当てている。

そして「Air/まごころを、君に」では、ついに人類補完計画の謎が説明される。
結局のところ人類補完計画を簡潔に説明すると、かつて地球には生命の実を持ったアダムと知恵の実を持ったリリンが降り立ち、人間はリリンから生み出されたため命に限りがあるのだが、それをすべて一つに統合して命に限りのない完全生命体にするという事だ。
そのために、アダムが生み出す使徒たちとの邂逅=サードインパクトが必要になる。
この「アダム」とか「リリン」とか「生命の実」とか「知恵の実」とか「使徒」と言うのは、人類がイメージから命名した形而上学的なネーミングであり、言葉自体にあまり意味がない。

●アダムとそこから生まれた生物→使徒
完全単体生命で、生殖も細胞分裂も行わない代わりに命に限りがない。
アダムから生まれる以外では個体は増加しない。
進化はせず現在の個体を自由に変形できる。

●リリンとそこから生まれた生物
生殖や細胞分裂により自ら増加し、生命体として進化して形態を変形する。
命に限りがあり、上記のアダムとそこから生まれた生物以外の生物は、すべてリリンを基礎として増殖、増加した生命体となる。


使徒対人類の闘いは、本来はアダム系とリリン系が地球上でその存続を掛けた闘いという事になるのだが、一方でSEELEとNERVはアダムを使用して、人類を死ぬ事のない一つの生命体とする事を目論んでいる。
つまり、リリンから生まれた人類を、アダム系の完全生命体に転嫁すると言う計画だ。
それが人類補完計画なのだが、この計画を達成するために、リリンから作りだしたエヴァンゲリオンシリーズやロンギヌスの槍などが必要になるのだ。
使徒と戦っているのは、おそらくアダムから生まれた使徒をすべて倒して、生命の身を持った生物をアダムだけにしなければ人類補完計画が実行できないからだろうと思う。
ただ、映画ではこのあたりの説明がきちんとなされていないので、多分に私の推測ではあるのだが。

ただちょっとややこしいのが、SEELEとNERVは同じように人類補完計画を目指しているのだが、その目的がちょっと違うと言う事だ。
NERVのリーダーの碇ゲンドウは、エヴァの起動実験中に制御システムに取り込まれてしまった妻ユイとの融合を、ただ一つの目的としている。
正直、妻の幻影が忘れられずに暴走しているかなり気持ちの悪いオッサンだ。
冷静に考えて、この気持ちの悪いオッサンの願望にNERV、ひいては人類全体が振り回されているのかと思うと、エヴァンゲリオンもなんだかなぁ、と思えてしまう。

一方SEELEは、知恵の実を持った人類と命の実を持ったアダムの融合を目的としている。
これはなんだか崇高なニオイがする。
ただ、人類をすべて一つの生命体にすれば、結局のところ碇ゲンドウの目的も達せられるのに、なぜSEELEの命令を碇ゲンドウが無視するのかが、ちょっとわかりづらい。
思うに、碇ゲンドウは人類全体の融合ではなく、自分とユイだけを融合したかったのかもしれない。
そのためだけに人類が滅亡するかもしれないサードインパクトを起こそうと考えていたのなら、かなり危険なオッサンだ。
そして実際その結果として、人類はシンジとアスカだけになってしまう。

この作品を見ると人類補完計画が何かはわかるのだが、碇ゲンドウが何をしたかったのかはよくわからない。
ちょっと後味の悪い部分は残るので、映画が公開された段階では「なんじゃこりゃ?」という声が多かったのもうなづける。
実際TV版、旧劇場版を制作していた時の庵野秀明は、彼自身が精神面でやや崩壊状態だったらしい。
なので物語としてまとめきれなかったのだろう。
あるいは庵野秀明が、制作しているうちにどんどん、碇ゲンドウに感情移入し過ぎてしまったのかもしれない。

124.新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH (TRUE)2
125.新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に(再)


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