<   2011年 07月 ( 31 )   > この月の画像一覧

競馬をしている人なら、すぐに馬の名前を連想するだろう。
特に私の日記だし。

だが、そういう話ではない。
今朝は静寂の中、ゆっくりと寝坊することができた。

夏休みに入って、先週の日曜日から子どものラジオ体操が始まった。
なんで夏休みに入って少し日にちが空いてから、しかも日曜日からのスタートなのかはわからない。
しかしウチの近所はなぜか、いつも変則日程である。
なので、子どもがウッカリうろ覚えだったりすると、いつから始まるのかわからないので一応朝起きて会場に行ってみたら、誰も来てなくて明日からでした、なんて事もあった。
地域によって開催時期は違うんだろうけど、私の小学生時代は日曜はなしで、夏休み初日から8/10くらいまでだったような記憶があるんだけどな。

それはさておき、日曜日からラジオ体操が始まっていた。
子どもが自分で起きて行くのはいい事なんだけど、これがまたドタンバタンとうるさい事。
アウシュビッツ並みに狭い部屋に住んでいるので、子どもが着替えて出て行くと、否が応でも目が覚めてしまう。
しかも出て行く時は、元気よく「行ってきま~す!」と叫んで出て行くしね。
いや、挨拶するのはいい事なんだけどね・・・。

だいたい子どもが起きるのが5時45分くらい。
早い人ならもう起きているとは思うけど、私はいつもおおよそその1時間後くらいに起きているので、この時間に起こされるのはちょっとツラい。
その後2度寝するけど、外も明るいし結局ウトウトするだけ。
なので先週1週間は、会社でも午後になると睡魔との闘いだった。

しかし今日は、8時過ぎまでグッスリ眠った。

ただ、夏休みが終了する8月末にも、また1週間ラジオ体操があるんだよね・・・。
また睡魔との闘いだ。
[PR]
今回のギンレイの2本。

まず「SOMEWHERE」
監督はソフィア・コッポラだ。
ソフィア・コッポラの作品は初めて見るが、非常に評価が難しい映画だった。

ジョニー・マルコは、フェラーリを乗り回すハリウッドの売れっ子俳優だ。
主役作品もあり、プロモーションで海外から呼ばれる事もある。
別れた妻との間に娘がいるが、お決まりどおり娘とは時折会えるだけ。
残りの時間はデリバリーのポールダンスを呼んだり(すげー国だ、アメリカって)、気ままにパーティなどをして過ごしている。

そんなある日、妻から娘のクレアをしばらく預かって欲しいと電話が入る。
数日後にサマーキャンプが始まるから、そこに送り届けてとの事。
本人はいつ戻るかわからないと言っている。

マルコは一緒にTVゲームをしたり、プロモーションで呼ばれたイタリアに連れて行ったりするうちに、娘と過ごす時間の楽しさを実感する。
娘も楽しんでくれている。
キャンプ参加の時間をギリギリまで延ばして、一緒にいる時間を楽しむ二人。
そして後ろ髪引かれながら、クレアはキャンプ参加のために、マルコの元を離れた。

カメラはロングショットを多用、長回しで編集も少ない。
冒頭で、自由気ままに過ごしながらもむなしさを感じるマルコのシーンが続くが、ここでもアップを使ったり、あるいはもう少し編集を入れた方がメリハリがきくんじゃないかと思った。
だが、これが彼女の持ち味なのだろう。

物語りも本当に淡々と流れる。
設定も、マルコがフェラーリに乗るほどの人気俳優である事以外は、ごくごく普通の親子である。
過度な愛情も嫉妬もなく、父親が見知らぬ女性と夜を過ごしても、娘はやや複雑そうではあるものの怒りも悲しみもしない。
プールで泳いだりジェラートを食べたり、ドキュメンタリー映画のようにストーリーは進む。
そこにドラマティックな展開も演出も、何もない。
そして、普通の親子を表現する事にこだわった結果、親子の愛情がより浮き出ている作品になっている。

だが、映画として観ていて楽しいかと言うと、かなり微妙な感じだ。
私は子どもがいるから、共感できる部分もかなり多かったと思う。
それでも正直、退屈なシーンは多かった。
特に特殊メイクの型取りしているシーンは、長すぎて映写機の故障かと思ったよ。

好きか嫌いかと問われれば、決して好きとは言えない作品だ。
だからと言って駄作だとはまったく思わないし、この監督のほかの作品も観てみたいと思った。
そう考えると、やっぱり成功している作品なのかもしれない。


続いて「アメイジング・グレイス」
イギリスの奴隷廃止運動を牽引した、実在の人物の感動の物語である。

ウィリアム・ウィルバーフォースは、若くして国会議員に選出されていた。
当時正式な場所にはカツラを被る事がマナーだったイギリスにおいて、議会にもカツラなしで参加するほどドラスティックな人間だった。
後に史上最年少で英国首相になるウィリアム・ピットとともに、若き議員たちのリーダー格としてアメリカとの戦争に反対し、議会の長老たちからは毛嫌いをされていたようだ。

そもそもが敬虔なキリスト教徒であり、一時期は牧師への道も考えたが、奴隷廃止運動のためにすべてをささげる決意をする。
そこから彼の苦難が始まる。
ジャマイカの砂糖農園に投資しているもの、そのものズバリ奴隷船の船主、奴隷船が入る港で儲けている者、当時のイギリスの経済は、奴隷制なくしては語れないものだった。
しかしウィルバーフォースたちは根気よく議会に資料を提出し、やがて長老の一人を見方に付ける。
そしてなんとか議会で多数を取れそうな見込みが出たときに、反対派の工作で、一気に禁止にせずに少しずつ禁止にしよう、という意見が出てしまう。
そしてその直後にフランス革命が起き、イギリスはフランスと戦争状態に突入する。
戦時下において奴隷廃止の動きは完全に止まり、首相となったピットからの支援も受けられず、ウィルバーフォースは反乱者の汚名を着せられてしまった。

失意のうちに体を壊し、すっかりやる気をなくしたウィルバーフォースを復活させたのは、妻となるバーバラとの出会いだった。
若き日のウィルバーフォースの活躍を知っていたバーバラは、彼の闘志にもう一度火を付けた。
当時の仲間を集め、知恵を絞って事実上奴隷廃止の法案を成立させる。
ウィルバーフォースはその後も、奴隷廃止のほか学校制などの整備のために尽力し、その生涯を閉じた。

タイトルの「アメイジング・グレイス」は、以前奴隷船の船長をしていた牧師が、懺悔のために作った歌だ。
ウィルバーフォースはこの牧師を師と仰ぎ、「アメイジング・グレイス」歌って困難に挑んでいく

ストーリーは「努力、勝利、友情」と、「少年ジャンプ」的な展開で進む。
だからという事もあるのだが、個人的には非常に入りやすい作品であった。
元奴隷だった黒人の巡回牧師のエクィアノが志半ばで倒れ、巡回牧師仲間のクラークソンが、奴隷廃止が決まった後にエクィアノの墓の前で酒を飲むシーンも印象的だ。

ちょっと青臭い部分も多いし、メチャメチャ面白いとは言えないが、機会があったら見ておいた方がいい作品だ。


93.SOMEWHERE
94.アメイジング・グレイス
[PR]
20世紀の初めに中国の古代遺跡が発掘されると、ヨーロッパでは中国文化が大人気となり日本の美術品の人気は凋落した。
日本が列強に並んだ事も影響するのだが、日本人は中国人のマネばかりしていると酷評されることになった。

しかしティコティンは、日本は中国の最高の弟子であり、インド、朝鮮などの文化も取り入れて師匠中国を超えたと訴えた。
だがそれでも日本の美術品は急激に価値を下げ、今でも有名な浮世絵のオークション会場であるホテルドゥルオーでは、数々の名品がオークションにかけられた。
そしてティコティンはこのオークションを利用して、自分のコレクションを増やしたのである。

ティコティンは34歳の時に、ドレスデンに構えていた店をベルリンに移した。
店に障子や畳を入れ、ドイツで唯一の日本画を専門に扱う美術店として話題を呼んだ。
そして1927年4月17日深夜0時から、北斎の「百物語」5点を中心に展示する「日本の幽霊展」を開催するなど、浮世絵の復権に尽力した。

1933年、ティコティンはコペンハーゲンで展覧会を開き、大成功を収めた。
ここには主力作品を投入したが、ちょうど夜行列車でベルリンからコペンハーゲンに移動中に、ベルリンの議事堂が焼かれる事件が起きる。
この後ヒトラーのナチスが政権を強化したため、ティコティンは作品をドイツに戻すことができなくなり、オランダへ移動した。
美術品もナチスから守るため分散して預けたが、盗まれたものもあったらしい。

ちなみにこの時ドイツでは、「伯林日本古美術展覧会」が開催された。
珍しくヒトラーが来場するなど政治的な意味合いが強く、日本も威信を掛けて国宝級の美術品を出典したが、その中に浮世絵、版画は皆無だった。
すでに浮世絵は、日本を代表する美術品ではなくなっていたのである。

オランダも安住の地ではなかったが、ティコティン家族は農家のネットワークに3年間かくまってもらい、なんとか無事終戦を迎える。
ティコティンは終戦後にアムステルダムで美術商を再開するが、戦後の混乱期でみな貧しく絵を買うどころではないうえ、ナチスと同盟国であった日本への風当たりも強く、なかなか順調には進まなかった。

そんな中ティコティンは、1951年にアムステルダム市立美術館で、デッサンのみの展覧会「レンブラント・北斎・ゴッホ展」を開く。
北斎の作品40点と、レンブラント、ゴッホの作品を並べて再評価しようと言う試みだ。

まずレンブラントだが、細い線を重ねて、さらにその上をなぞる手法を用いている。
正しい物を探るかのような描き方で、描きながら、表現するための最高の線を見つけている。

続いてゴッホだが、デッサンでは線に迷いが生じ、思考が整理できずに苦闘していることがわかる。
アイディアが浮かんだらすぐに描きだし、キャンパスの上で試行錯誤を重ねているのだ。

対して北斎は、描く前からアイディアがまとまっているので、線も明晰である。
頭の中でアイディアをまとめてから描いているので、デッサンにも修正の余地がない。

これにより、オランダ人も浮世絵の価値を再認識し、展覧会は大成功を収めるのだった。
当時の新聞は、北斎の筆の力に比べればレンブラントさえためらいながらに見える、ゴッホなど左手で描いたようにしか見えない、と、最高の称賛を与えている。

その後もティコティンは大成功を収めるが、その子どもたちは美術品にまったく興味を示さなかった。
ティコティンは、美術品は一時的に預かっているものであり、それを誰に引き継ぐかという事も重要視していた。
当時ちょうど起こり始めていたシオン運動もあり、娘の一人がイスラエルに移住したため、ティコティンもイスラエルの美術館にコレクションを寄贈する事を決めたそうだ。
ティコティンが最初に浮世絵に触れたポーランドのように、これからの国であるイスラエルにとって、浮世絵が与える影響が大きいと考えたのだ。

数奇な運命をたどってイスラエルに集まった浮世絵たちであるが、まだまだ貴重な作品が眠っているようである。
死ぬまでに一度でいいから、彼の地を訪れてコレクションを見てみたい。

その前に日本国内の浮世絵を、もっと見ておかなきゃダメだけどね。

--完
[PR]
林忠正は、越中高岡の医者の息子として生を受けた。
上京して大学で仏語を学んでいたが、パリ万博の通訳となるために大学を中退してパリに渡る。
万博で日本人気に触れた林は、万博後もパリに留まって古美術店を開いた。
当時は開国間もない日本の作品が人気であり、パリではちょうどジャポニズムブームが起きていた頃だ。
日本美術を扱う店もパリに十数件存在し、モネも妻が和服を着た「ラ・ジャポネーズ」を発表している。

林はこのジャポニズム・ブームに乗じて、1890年からの12年間で、218回860箱、およそ15万6487枚もの浮世絵を日本から輸出した。
当時日本は廃仏毀釈が行われており、美術も西洋美術だけが高く評価され、浮世絵は軒先に束ねられて捨てられていたのだ。
その浮世絵が、ヨーロッパに渡ることになる。

そして浮世絵の中でも、林の予想を上回って人気だったのが北斎だった。
印象派の画家にも北斎の影響を受けたものは多く、マネの「肉屋での行列」は当時としては珍しい題材だが、北斎の「和傘」の影響を受けていると言われており、モネの「サン=タドレスのテラス」も、富岳三十六景の1枚「百らかん寺さざゐ堂」の影響を受けているとの事だ。
これは余談ではあるが、近年、北斎の「騎馬武者図」のデッサンをポストカードにして発送した美術館があったが、受け取った人はみな、イタリアルネサンスの作品と勘違いしたらしい。

このように印象派に影響を与えた北斎を、林はさらにパリで広めようとしていた。
そしてエドモン・ド・ゴンクールにその事を伝え、彼に北斎の評伝を書くよう依頼したのである。
それが「Hokousai」(「i」は正確には上の点が二つ)だ。
「Hokousai」の中でゴンクールは、北斎を「地上で最も独創的な芸術家」と評している。

林やエドモン・ド・ゴンクールの功績により、ヨーロッパで浮世絵は芸術作品としての地位を高めたのだった。

ティコティンが浮世絵に初めて触れたのは、第一次大戦中の1917年、出征先のクラクスである。
クラクスでは戦争中でありながら浮世絵展が開かれており、歌麿の「青楼六歌仙松葉屋粧ひ」、鈴木春信の「中納言兼輔」、そして北斎の「神奈川沖浪裏」などが展示されていた。
「青楼六歌仙松葉屋粧ひ」は現存する歌麿作品で最も鮮やかな色彩であり、江戸の豊かな暮らしを表現した「中納言兼輔」は幸せ感に満ちたやわらかな色彩の作品だ。

この展覧会を実際に見た映画監督のアンジェイ・ワイダは、次のように語っている。

「神奈川沖浪裏」を見て、浮世絵ほど美しい物はないと思った。
貧しい者、富める者、貴族、僧侶、すべてが平等に描かれている。
心で抱きとめる世界だ。
西洋画は、取り上げるに相応しい題材しか描かれない、差別の世界だ。

この展覧会に出品された作品の所有者は、ポーランド人のフェリックス・ヤシェンスキーだ。
ヤシェンスキーはパリ留学でゴンクールとの付き合いもあり、浮世絵の虜になっていた。
特に北斎に感銘を受け、フェリックス"マンガ"ヤシェンスキーと名乗った事もあるらしい。

ヤシェンスキーは、国を分割されたポーランドは長く独立を守り独自の文化を守った日本を模範にし、その象徴である浮世絵のような、オリジナルの何かを想像すべきと主張した。
ティコティンが同じように感じたかどうかは定かではないが、当時のポーランドで同じように感じた人は少なくなかっただろう。

--続く
[PR]
GW後にNHKのBSで浮世絵に関する特集が放送されていた。
その備忘録である。

浮世絵の研究家が注目している美術館がイスラエルのハイファにある。
1960年に開館したティコティン美術館だ。
中東で唯一の東洋美術専門の美術館だが、イスラエルと言う土地柄のため、これまであまり注目されなかった。
しかしここ数年の調査で、世界的にも注目すべき新発見が次々と見つかっている。

美人の名前が入った歌麿の「当時三美人」は、この美術館以外ではアメリカと日本で各1点ずつしか確認されておらず、歌川豊国の新発見の作品も眠っていた。
また、広重が描いた団扇絵(桑名)や経木絵(木曽名所)なども見つかっている。
団扇絵は当然団扇に貼られるものであるし、経木絵はお土産物ではないかと言われており、どちらも通常コレクションとして残されることが珍しい貴重品だ。

さらに北斎の肉筆画12点に至っては、従来の北斎作品とは異なる作風の連作だ。
「雪中行旅図」「蜻蛉と割茶碗」「漁師二人」などは、色彩のコントラストを使用した西洋風の画風である。
北斎が活躍したのは70歳以降であるが、おそらくそれよりも前の作品ではないかと推測され、北斎の画業を考える上で重要な役割を果たす可能性がある。
北斎に関して言えば、このほかにも「春の野遊び」という摺物が見つかっている。
摺物とは趣味人が個人で発注、配布した作品で、一般市場に出回るのは極めて稀との事だ。

これ以外にも、鈴木春信の柱絵も所蔵されていた。
柱絵とは、床の間がない庶民の家で粗末な柱に飾る装飾品であるが、飾られた段階で外気に触れて劣化するため、現存する事自体が非常に珍しいらしい。

そしてさらに驚くべき事は、通常の絵画も含めてどの作品も、複製品がほとんどなく真筆の作品ばかりという事である。

これらの作品を集めたのは、フェリックス・ティコティンというドイツ生まれのユダヤ人である。
所蔵作品に複製品がないのは、彼が優れた審美眼の持ち主であった事を物語っている。
そのティコティンがなぜ、これだけの日本の美術品を集められたのか。

所蔵された作品を見ると、「TNS」「LG」「林●」などいくつかの印が確認される。
※●は「正」という遍に「忠」

印はティコティン以前の持ち主を表し、所持者は以下のとおりである。

TNS:Tony Straus-Nesbaur
LG:Louis Gons
林●:林忠正

ティコティンは上記のコレクターをはじめ、著名なコレクターが亡くなると誰よりも早く駆けつけて、所蔵品を買いつけたと言う。

そしてこの中で注目されるのが、林忠正である。

--続く
[PR]
ペネロペ・クルスの旦那、ハビエル・バルデム主演の映画である。

ウスバルはバルセロナで娘、息子と3人暮らしをしている。
どうやら定職はないようで、パチモノのブランド品を売るアフリカ系の不法滞在者とそれを作る中国系不法滞在者、彼らを取り締まる警察との仲介役で生計を立てているようだ。
その他にも死者と話す心霊能力があり、時折それでも商売している。

別れた妻は躁鬱病を患っており、さまざまな治療を行い時には医療施設にも入っている。
離婚の原因も、妻の病気が子どもへ与える影響を考えてである。

そんなウスバルが、末期ガンである事を告げられた。
時を同じくして、強引な販売を続けていたアフリカ系の不法滞在者が、手入れで逮捕されてしまう。
困難な状況の中、命があるうちに出来る事をしようとするウスバル。
だが彼の行動は、どれもすべて裏目に出てしまう。

監督は「バベル」のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ。
だが個人的には、この監督とは相性が悪いようだ。
言いたい事はわかるのだが、映画としてはあまり面白く感じられなかった。

まず、物語がやたらと長い。
そもそも、ウスバルが余命いくばくかという話なので、あまり明るい映画ではない。
しかも、さらにどんどん困難な状況になってくる。
そんな流れの中で、意味があるのかわからないシーンが続くのでちょっとイライラする。
中国人のゲイのエピソードなんて、全体を見渡しても本当に必要があったのかと思う。
元妻マランブラの奔放ぶりも、ややしつこくて嫌悪感を感じた。

ウスバルが拘留された事により、子どもたちは一時的に母親の元に戻る。
なんとなくウスバルもそのまま元妻の部屋で暮らすようになるのだが、そのときの家族の食事のシーンだけが、唯一心を和ませてくれた。

それと心霊能力に関しても、今ひとつ全体の流れの中に溶け込んでいない。
彼の師匠筋のような女性から「森羅万象が子どもを育ている」と言われても、ウスバルは「森羅万象は家賃を払ってくれない!」と反論する。
死期が近い事を知ったウスバルの心の変化と心霊能力が、あまりリンクしてない。

ウスバルは気が進まないながらも、アフリカ系の不法滞在者に救いの手を差し伸べ、建設業者ともめながらも中国系不法滞在者の仕事を見つけ、警察官とも面倒な交渉をする。
ウスバルなりに努力をしながらも物語は好転せず、妻は病気を悪化させ子どもたちの行く末も気になる。
全体をもっとスッキリさせれば、ウスバルの焦りと達観がより際立って見え、もう少しわかりやすくなったんじゃないかと言う気がする。

「バベル」の時もそうだったと思うが、おそらく監督は情緒的な映像を多用する人なのだろう。
でもなにやら哲学的な見せ方も多く、愚か者の私の心にはあまり響いて来なかった。

ハビエル・バルデムも、「ノーカントリー」の方が好きだったな。


92.BIUTIFUL ビューティフル
[PR]
今年はウチの会社は、8月は5週中4回月曜日が休業になる。
と言っても事実上は、有給消化しなきゃいけないんだけどね。
まあそんな事もあり、今年は夏はたくさん休みを取る事に決めた。
今までは定期更新なんかもあって、夏でも自由に休みを取る事ができなかったから、たまにはいいだろ。

と言う事で、本日は家族サービス第二弾。
下の子ども二人を「ポケモン」に連れて行く。

チケットはあらかじめ前売りを購入していたが、夏休み中は混雑が予想されるので、8時ちょうどのオープン時間に間に合うように家を出た。
劇場に着くと窓口は小中学生でやや混雑していたが、どうもそのほとんどが「ハリポタ」を観に来ているようだ。
今回「ポケモン」は2作品同時公開だから分散したのかもしれないし、さすがにそろそろ子どもにも飽きられているのかもしれない。

自分は見ずに、子どもを劇場内に送った後は、約100分間新聞読みながらマックでコーヒーを飲む。
終了して出てきた子どもに聞いたら、やはり中はガラガラだった模様。
平日だとこんなものか、まあ、だからこそわざわざ有給取って連れて来たんだけどね。

その後、同じショッピングセンター内にあるトイザらスで、前売り特典のポケモンをダウンロードして終了。
時間は10時半。

いったんマンションまで車で戻って、カミサンを拾い、逆方向にあるコストコに向かう。
前回行った時と比べると、格段に空いていて快適に回ることができた。
と言ってもそんなに大量に買い物する訳じゃないんだけどね。
前回は初めて行ったのでどこに何があるかよくわからず、しかもカートの大渋滞でだいぶ時間がかかったが、今回は迷う事なくカートを進め、パン、ドーナツ、肉などを購入した。

来月の長男の誕生日にも夕方に行って、いろいろと食材を購入する予定。

昼は家族4人でホットドッグを購入。
やっぱりコストコの中でも、このホットドッグが一番お値打ち感がある気がする。
部活帰りらしい女子高生も、何人もこのホットドッグを食べに来ていた。
厳密に言うと会員じゃないんだろうけど、まあ、そのあたりは目くじら立てないんだろうね。

午後2時くらいに帰宅。
会社の携帯には仕事のメールがバンバン入っていたが、昨日の疲れもあり結構バテていたので、そこから昼寝。
だって有給中だもの。

仕事は明日からがんばりま~す。
[PR]
学校が夏休みと言う事で、長い長い家族サービス期間に突入だ。
今日はその第一弾、家族で国立競技場にFC東京の試合を観に行った。

昼食後にオールスターを見ながらアイロンを掛け、終わってから私一人だけ席取で早く家を出る。
ファンクラブ会員は30分早く入場できるので、あまりいい席は残ってないかと思いきや、ホームのゴール横で下の方の席(国際試合だとカテゴリー1と2の境目くらい)を確保する事ができた。
本当のファンはゴール裏(カテゴリー3)に陣取るため、横は意外と席が埋まるのが遅いのかもね。
実際、まわりはコアなファンは少なく、夏休み中の自由席と言う事もありほとんどが家族連れだった。
でも、試合前に選手が挨拶にまわってくれたけど、今野とか羽生とか徳永の顔もよく見えたよ。

a0003588_23491865.jpg

a0003588_23494556.jpg


試合15分前に家族が遅れて到着。
無事着席できて試合が始まった。
相手はリーグ5位のロアッソ熊本だ。

前節でJ2首位に立ったFC東京が、終始ゲームを支配している。
ただポゼッションは高いものの、最後の決め手に欠け点が入らない。
ロアッソのGKが南雄太だったと言う事もあるかもしれないけど。
南雄太、やっぱりまだまだ巧いよ。

しかも前半は、FC東京が遠い方のゴールに攻めているため、なかなかこちらに選手が来ない。
さすがに下の娘が飽きはじめてきた前半終了間際、PKを得てそれをエースのセザーがキッチリ決めた。
その時に相手のMFがレッドで退場になったので、後半はワンサイドゲームになる。

目の前で次々とゴールが決まるので、子どもたちも大喜び。
特に徳永のミドルはしびれたね~。
途中出場のルーカスも、まだまだ健在と言わんばかりのゴールを決めたしね。
サッカー特有のさまざまな応援ソングが歌われ、運動が得意でない次男も満足していた。

ゲームは5-0で快勝、ガッチリ首位をキープ。
蒸し暑くもなく涼やかな風が吹いて、いい夏休みの夜になった。

※こんな本書いてみました。
よろしかったらご購読ください


●放射能ヒステリックビジネス

http://www.amazon.co.jp/%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%82%B9-ebook/dp/B00DFZ4IR8/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1371517543&sr=8-1&keywords=%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF
[PR]
木曜日、家に帰るとカミサンから「ずーっとフィッシング詐欺が出ているよ」と言われた。
最初はなんだか訳がわからなかったが、PCの電源を入れて気付いた。

起動すると、自動で「ADULT DREAM」というアプリケーションが起ちあがった。
画面の真ん中に、おねーちゃんがにっこりほほ笑む画面が張り付き、おねーちゃんの横の「確認」だの「振込」だのを押すと、サイトにつながる仕組みのようだ。
おそらくクリックしてサイトにつなげちゃうと、またいろいろと面倒な事になるので、カミサンがうっかりクリックしなかったのは正解だろう。

いつインストールされたのかはわからない。
ただ、私が火、水と出張に行き、水曜日の夜に日記をアップしてシャットダウンした時までは、こんなものは表示されてなかった。
一応パスワードはかけているが、見破った子どもが夜中にイタズラしたか・・・。
あるいは、カミサンが「●●プレゼント」という表示をクリックし、実際にサイトはプレゼント応募画面に飛ぶものの、裏側でインストールされてしまったか。
しかし、カミサンに聞いても自覚はないだろう。
とりあえずPCのパスワードだけ変更する事にした。

うんざりしながらおねーちゃんを消そうと思ったが、クローズする「×」がない。
タスクバーにも表示がないので、右クリックからの終了もできない。
仕方ないのでタスクマネージャーから終了した。
だがPCの起動と同時に走り出したという事は、毎回PCを起動するとこのおねーちゃんがにっこりほほ笑む可能性がある。
そうだったらうぜーなー、と思いつつ再起動をかけたら、やっぱりおねーちゃんが微笑んできた・・・。

そこからが手間取った。

以前のMacOS9くらいまでだったら、おそらく「起動項目」のフォルダの中に悪さをする何かを放り込まれているだけなので、それを外せば簡単に修復できただろう。
ただ、Windowsだとレジストリに何かを書き込まれている可能性が高い。
一応、「コンパネ」から「プログラムと機能」を開いて削除を試みたが、それらしきプログラムは見つからない。
まあ、そう簡単には削除できないように仕組まれているよね。

こうなると、今の私の知識ではお手上げだ。
後はWebで対応策を探すしかない。

ただ、「ADULT DREAM」と「削除」なんてありがちなキーワードじゃ、検索してもそう簡単には有効な手段が見つからないんじゃないかと思った。
とは言えそれしか方法が思いつかないので検索をかけてみると、これがなんと、検索結果にズラリと質問や対応方法が並んでくれた。
日付を見ると、ちょうど1年前くらいにこの「ADULT DREAM」が各所で悪さをしたらしく、そのあたりの日付のサイトが並んでいる。
試しに一番上に表示された、Y!の知恵袋の回答にあったユーティリティをDLして使用してみる。
しかしおねーちゃんは消えない。

困った。
この1年の間に、どうやら敵もバージョンアップして、さらにそう簡単には消せないようにしたようだ。
そりゃまあ、敵も生活がかかっているだろうから、いろいろと対策するだろう。

そこからさらに探しまわると、「上のURLにあったソフトでは削除できなかったですが、これなら削除できましたよ」と言う書き込みを見つける。
そのユーティリティの名は「スタートアップチェッカー」。
藁にもすがる思いでDLし、試してみると・・・。

おおっ、「スタートアップ」の項目の中に「ADULT DREAM」ってのがある。
消えやがれっ、と削除ボタンを押し、リスタートをしてみると・・・。

よっしゃー、おねーちゃんが出なくなった!
ばんざーい!

ここまでおよそ2時間近く経過。
出張明けで早く寝ようと思ったのに、予想外に手こずった。
やっぱり自分専用のPCが欲しいよね。
[PR]
たとえるなら、キャンバスに1本の線を引いたような映画とでも言うべきか。

原作は少女漫画だ。
90分の時間の中でメリハリはほとんどなく、物語は淡々と進んでいく。

舞台は1963年、東京オリンピックを翌年に控えた横浜。
高校2年生の主人公海が通う学校は、当時よくあった学生運動の影響を受けた高校のようである。
「カルチェラタン」と呼ばれる古いサークル棟には、さまざまな文系サークルが部室を構えて、授業そっちのけで活動を続けていた。

このカルチェラタンが老朽化し、取り壊されることになった。
生徒の多くは、魔窟と化したカルチェラタンの取り壊しに賛成する。
しかし週刊「カルチェラタン」を発行する俊、生徒会長の水沼をはじめとするグループは、なんとかカルチェラタンを存続させるべく、集会などを開いて抵抗する。
ひょんな事から一つ年上の俊と係わりを持った海は、彼に淡い恋心を抱きながらカルチェラタン存続のための手伝いをする。

とにかく前半は退屈の一言だ。
状況の説明などは一切なし、海がなぜ友人から「メル」と呼ばれているのかもわからない(フランス語の「海=ラ・メール」に由来するらしい)。
ただ後半、海が夢の中で父母と会話をするあたりから話が少し動く。
好きだった俊が実の兄かもしれないと言う、「冬ソナ」で使い切ってから、もう日本では語られることもないと思われた「禁断の愛」の設定で話が進み始めるのだ。
だが話は進展するものの、ストーリー中に悪人が一切出てこないので、なんとも気の抜けた展開になってしまう。
ラストも本当に唐突に、あっさりと終了してしまう。

それでも、心に響く何かを持っている作品だ。

スタッフは、当時の横浜の風景を再現する事に、かなり腐心したに違いない。
ジブリの作品にしては描かれている人物の頭と体のバランスが悪く、なんだかデッサンが狂っているように見える事もある。
だが背景の描き込みは素晴らしい。
市電が走る街並みや、二人が歩く山下公園の風景も、当時の風景を忠実に再現しているのだと思われる。
ノスタルジックと言うか、自分は体験したことがないはずなのに、なぜか懐かしさで心がとても癒される。

そしてスクリーンから伝わってくる、当時の人たちの思い。
みんながその日その日を一生懸命生きていて、貧しくても日本が一番いい時代だったようにも思える。
自分が経験した時代で言えば、バブル期もそれほど悪い時代ではなかった。
モノは有り余っていたが、それでもみんなが毎日を一生懸命だったと言う点では、共通するものがあるのではないだろうか。
オイルショック後やバブル期以降、人々が疲弊し、諦めた気持ちが蔓延している時代から比べると、輝きを持った時代にも見える。
そう、「上を向いて歩こう」というキャッチコピーが、とてもしっくりくる映画だ。

そんなこの映画の持ち味を好きになれるかどうかで、評価は大きく分かれるだろう。

もし脚本がもっと作りこまれていたら、おそらくかなりの名作になったのではないか。
でも個人的には、この映画はこれでいいのではないか、とも思う。


91.コクリコ坂から
[PR]