「この世界の片隅に」

通常は、映画を観た順番で感想を書くことにしているが、この映画は先に感想を書きたいと言う衝動を抑えられなかった。
それほど完成度の高い素晴らしい作品だ。

最初に予告編を観た段階では、柔らかい絵柄もあって、教条的に平和を訴える子ども向けのアニメかと思っていた。
だが実際はまるで正反対、絵柄は柔らかいが、大人が深く考えさせられる作品であった。
その完成度に心震わされた。

時代は昭和初期、浦野すずは広島の江波で海苔養殖を営む家に生まれた。
両親のほか、真面目で怖い兄と仲の良い妹と暮らし、海の向こうには祖母宅があった。
お大尽様とはいかなかったが、貧しいながらも人々は一生懸命楽しく暮らし、ゆったりした時間の中ですずは育まれた。
すず自身は、皆から「ぼーっとしてる」と言われるほどおっとりした性格だった。
絵が得意で、時間があればスケッチや空想の絵を描き妹を喜ばせていた。
そして幼馴染にほのかな恋心を抱いたりもしていた。

やがてすずが19歳になったとき、呉から縁談話が来た。
相手の名前は北條周作、軍法会議の議事を取る事務官だ。
すずはまったく覚えがないが、周作がすずを見染めたと言う。
いい縁談だと薦められ、言われるままに嫁ぐすず。
そういう時代でもあったのだ。

北條家の人々も穏やかで、すずは暖かく迎えられた。
唯一、嫁に出た周作の姉の徑子が時折子どもを連れて戻ってきては、すずの見た目が野暮ったいと小言を言った。
だが、元々モガだった徑子はファッションにうるさいだけで、すずの事が嫌いなわけではなかった。

不器用ながら一生懸命に生きるすず。
やがて時代は暗い影を落とす。
呉の港には軍艦がひっきりなしに出入りし、山の上には高射砲も据えられた。
そして昭和20年2月、出征していたすずの兄が戦死したと言う知らせも入った。
配給もどんどん少なくなり、食べる事さえ精いっぱいとなる。
それでもすすは、徑子の娘の晴美と明るく過ごすのだった。

とにかく、どこから褒めればいいのかわからないほどの秀作だ。
戦時物でありながら、全体のストーリーはゆっくりと流れる。
ちょっと世間知らずで「ぼーっとした」性格のすず目線で進むのだ。
前半の子ども時代のエピソードも、どこか懐かしくてとても心地が良い。
「子どものままでも良かった」と言うすずのセリフも、さりげないがとても心に響く。
そして全体を通して、時折絵柄がすずの描いた絵となって、メリハリがつけられる。
すべてのアングルが秀逸なのだが、この絵を切り替えるタイミングが巧い。
日本が苦しい時代の話を優しく、それでいてウソのない作品として仕上げている。
周作と遊郭のリンのエピソードをファンタジーにしている部分も秀逸だ。

原作は読んだことがないが、少なくともこの映画では、当時の事実をかなり細かく取材していると思われる。
戦争を題材とした作品、特に広島が舞台の場合は、やはり原爆がクローズアップされるケースが多い。
しかしそれ以外にも頻繁に空襲は行われていた。
空襲を迎え撃つ戦闘機のエンジン音を聞き、すずの義父である円太郎は「いい音出している」と言う。
当時の市井の人々は、偽善的に日本軍の批判などしたりせず、明日の食材の心配をし、自分達の仕事に対して満足感を得ようとしていたのではないかと思う。
また、自分が見染めて嫁にもらったが、周作はすずが自分をどう思っているか案ずる。
しかしすずは、不器用な自分を大事にしてくれる北條家をありがたく思っている。
そんな、現代では考えられない、ほほえましい行き違いも描かれている。

ラスト直前、すずは「ぼーっとしたまま死ねれば良かった」と言う。
どんなに苦しい状況になってもマイペースだったすずが、いよいよ絶望するのだ。
ややネタバレになってしまうが、ここがこの映画の見どころでありポイントである。
この後すずは周囲に支えられて、絶望から少しずつ前に進み始める。
例え絶望のどん底に落とされても、人間は前に進まなければならないのだ。
その時には、人の手助けも必要かもしれない。
思えば世の中が便利になればなるほど、人の手助けがあまり必要にならなくなり、自分は一人で生きていると勘違いをしてしまうのかもしれない。
世の中に不便が溢れていた頃は、人は助け合うのが当たり前だった。
この映画はその当たり前の助け合いをきちんと描いているため、派手さはまったくないのに、観ている者の心を激しく揺さぶるのかもしれない。
そしてラストでは、希望の光が見える。
すず役を、能念玲奈改めのんにしたキャスティングも素晴らしかった。

劇場内は半分以上席が埋まっていたが、映画が終わった後も場内は静まり返っていた。
帰り支度をしながらも、誰も口を開こうとしていなかった。
おそらく、観終わった後いろんな人がいろんな事を考えていたのだろう。
その考えは人によって少しずつ違うかもしれないが、すべてが正解なのでないかとも思う。
観終わった後で、いろいろと考える映画なのだ。

そしてまったく知らなかったが、この映画はクラウド・ファンディングで予算を集めたらしい。
そのためかプロモーションなどはほとんどなく、一般的な知名度はまったくない。
だからこそ、この映画を観た一人ひとりが口コミでこの映画の素晴らしさを伝えなければならない。
それが責務とすら感じた。

おそらく、ロードショウはひっそりと短期間で終了してしまうだろう。
しかし数年後には間違いなく高い評価を得ていて、日本のアニメ作品の金字塔となっているはずである。
ひょっとすると「君の名は。」ではなく、この作品が今年の日本アカデミー賞の最優秀アニメ作品になってしまうかもしれない。
日本人だけでなく、世界中の人に観てもらいたい映画である。


96.この世界の片隅に


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by ksato1 | 2016-11-21 05:30 | 映画 | Comments(0)