昭和天皇に召集された6人~リーダーの資質~

8月15日周辺は、NHKで戦争に関する特番が数多く組まれる。
今回、地上波では「終戦 なぜ早く決められなかったのか」が放送された。
すでにネット上で、文句垂れさんたちがこの番組の一部分だけを取り上げて批判しているようだが、この番組自体は非常に注目すべき内容である。
番組は新たにヨーロッパで発見された史料、および海軍少将だった高木惣吉という人物の残した記録から、当時の日本の上層部の考えを再考している。

まず第一のポイントは、ソ連の宣戦布告である。
1941年2月のヤルタ会談で、ルーズベルトから参戦を要求されたソ連のスターリンは、樺太、千島列島の領有を条件に、ドイツ降伏後90日以内の参戦を約束する。
その結果ソ連は1941年8月9日に、日ソ不可侵条約を破棄して参戦するのだが、日本の上層部はこのヤルタ会談の密約を知らなかったため、ソ連の参戦はまさに寝耳に水状態だった、と言うのがこれまでの定説だった。
ところが今回、ヨーロッパに駐在していた海軍、陸軍の武官が、ソ連が参戦する可能性が高いという電文を、4~5月に日本の大本営宛に送っていることがわかった。

一方同時期、日本のトップ6人とも言える、鈴木貫太郎首相、東郷茂徳外相、阿南惟幾陸軍大臣、米内光政海軍大臣、梅津美治郎参謀総長、豊田副武軍令部総長が、終戦に向けての話し合いを進めていた。
その時の論調は、「本土決戦で一撃を加えてからの和平交渉」が主軸であり、和平交渉についてはソ連に間に入ってもらう事が前提であった。
しかしソ連に参戦の意思があるのであれば、「一撃を加えてからの和平交渉」の目論見は根底から崩れてしまう。
陸軍も海軍もソ連の情勢を掴んでいたが、「一撃」にこだわるあまりその情報を会議に提出しなかったのではないか、というのがこの番組の見解だ。

ここでこの番組の第二のポイントが、この番組のベースとなる高木惣吉の記録である。
高木惣吉は海軍少将で、終戦間際に軍の密命により終戦工作に従事していた。
その時、陸軍大佐であった松谷誠とも協力している。
そして文句垂れさんたちは、この松谷誠が共産主義者だったのでNHKは彼について言及した、またソ連参戦の情報は大本営で握り潰されて軍の上層部に伝わっていなかったのであり、NHKが「軍の上層部がソ連参戦を知らなかったと言うのは嘘だ、なぜもっと早く終戦を決断しなかったのか」と述べるのはお門違いだ、と言っている。
だが仮に真実がその通りだったとしても、この番組で本当に注目すべき点は、そこではない。

どこで情報が握り潰されたにしろ、トップ6人の会議にこの話題が上がらなかった事は事実だ。
そして軍の上層部が制御できなかったのかもしれないが、軍の内部に「一撃」にこだわった一派がいてソ連参戦の情報が握り潰された事も事実である。
そういう体制を作ったのは、紛れもなく軍の上層部の責任だ。
そしてさらに愚かなことに、外務省は陸軍、海軍の情報網をバカにして、「彼らに情報が収集できるわけがない」と高を括っていた。
どうしてそういう状況になったのかと言うと、天皇の下どのセクションも対等な位置にあり、お互い牽制しあっていたからだ。
マイナスの意見を言えばすぐに糾弾されるため、都合の悪い事には口をつぐむのが常套手段となっていたのである。

そしてそんなミクロな事よりも、一番注目しなければならない点は、6月22日に昭和天皇自身がこの6人を招集して会議を開いた事である。
この番組の真髄は、この会議の存在を明らかにしたことである。

春からトップ6人が何度も会談をしているにもかかわらず、終戦についての具体的な話は一向に進まない。
それは、誰もが対等な立場であるとともに、誰もが決定をできる立場ではなかったからだ。
誰かが天皇に現況を輔弼(ほひつ)し、天皇に終戦を決断させなければならないのだが、それはすなわち日本の敗戦を認める発言にもつながる。
軍部は戦況を一番把握できていたが、いまだ完全に強硬派を排除できていなかったため、陸軍も海軍もストレートな発言ができなかったのだ。

が、しかし、大陸を視察してきた梅津美治郎参謀総長が、6月の初旬に天皇に、現在の大陸の戦力は会戦1回程度の軍力しかないことを報告した。
ハッキリ言って、当時の軍人が輔弼できる内容としては、これがギリギリのラインだろう。
事実を報告しながら、行間に終戦を考えなければいけない状況である事を匂わせている。
事実昭和天皇はこの言葉に大変なショックを受け、6月22日に自らこの6人を招集しているのだ。
梅津美治郎は広島に原爆が落とされた後、「米軍がいくつも原爆を保持しているかわからないので、この後日本にさらなる原爆の投下が行われるかどうかもわからない」と発言したらしく、てっきり強硬派の人物でないかと思っていたが、意外とそうでもなかったようだ。

話を天皇の招集に戻すが、当時の組織体系から考えても、天皇自ら大臣を招集する事は異例中の異例である。
そして大臣に向かい「そろそろ事後を考える時期ではないか」という問いかけまでしたそうだ。
さらには、「まさか『一撃』にこだわっているわけではないだろうね?」と念を押したと言う。
それに対して大臣は「必ずしも『一撃』にこだわる必要はないと思う」とまで答えているのだ。

あえて「降伏」ではなく「終戦」と言うが、この時点でなぜ日本は終戦に踏み切れなかったのだろうか?
私は今まで、昭和天皇には戦争責任はほとんどないと考えていたが、これを知ると、もっと強引に大臣たちに終戦に踏み切らせるよう迫るべきではなかったのか、とも思う。
天皇が一言「終戦だ」と言えば、誰も逆らう事ができず、その場にいた6人もある意味安堵したのではないだろうか。
だが当時の天皇の立場を考えると、「天皇は何かを強制してはならない」と教え込まれていただろうし、天皇自ら「終戦」を宣言するには、何かきっかけがなくてはと考えたのだろう。
天皇がきっかけなしで「終戦」を発言すれば、軍部に混乱が生じることは想像に難くないからだ。
そう考えると、何度も念を押すことが天皇にできる精いっぱいの事だったようにも思える。
であるならば、天皇にギリギリの発言までさせてしまった大臣達が、やはり強引にでも終戦に舵を切るべきだったのである。

天皇の下、どのセクションも対等に存在していた事で、タテ割行政になっていた事は事実だ。
そして減点評価主義がまかり通っていた事により、誰もが自分に都合の悪い事は口をつぐんでいた。
まさに、今の官僚主義である。
番組で解説をしていた3人も、その部分を重点に話していた。

しかし、一番重要な事はそこではない。
問題なのは、トップに英断ができる本当のリーダーがいなかった事だ。
優秀なリーダーさえいれば、その下の組織が官僚主義でもまったく問題は無いのである。
昭和天皇に召集された6人、そして場合によっては天皇も含めて、6月22日の会議で誰か一人でも自分の立場を超えて核心を突く発言ができていれば、少なくとも原子爆弾が日本に落とされることが回避できた可能性が高いのではないだろうか。
番組では、さらにソ連参戦の回避に伴いシベリア抑留者についても、回避できたはずだと結んでいる。
それはその通りだとも思う。

周りに波及する影響を考えると、リーダーの決断と言うのは本当に難しい。
それは平常時でも一緒だが、有事の際のリーダーは決断の機を誤ってはいけないし、それ以前に絶対に選択肢も誤ってはいけない。
時には自分の立場を超えて勇気ある決断をするのがリーダーの資質と言えるかもしれないが、残念ながら太平洋戦争の時代において、日本にはその資質のあるリーダーがいなかったようだ。


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by ksato1 | 2012-08-21 22:28 | 日記 | Comments(0)