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徒歩での帰宅の記録

2011.03.10

元々、ギンレイで映画を見て帰ろうと思い、フレックスで早く会社を出る予定だった。
その直前に大きな揺れ。
これは映画館も上映中止かと思いながらも、この時はそれほど深刻だとは思わず、とりあえずギンレイに向かう。
道路はすでに、交通機関を利用できない人でごった返している。
空を見上げると報道、警察などのヘリコプターが、上空を何台も飛び回っていた。

ギンレイに着くと、やはり上映中止。
そのまま飯田橋の駅に行くと「復帰まで5~6時間かかります」とアナウンスしていた。
その段階で16時。
おそらく、復旧するとしても深夜0時近くだろう。
一度会社に帰っても、いい事はないに決まっている。
なので歩いて帰ることに決めた。

そこからの選択肢は二つ。
国道14号線、いわゆる京葉道路を歩く、もしくは蔵前通りを歩いて市川橋を目指す、このどちらかだ。
京葉道路はほぼ直線で最短距離だ。
しかし最後の江戸川は自動車専用道路なので徒歩では渡れない。
その1kmほど南の旧江戸川放水路のところに水門があって、その上は徒歩で渡れる。
だがその水門自体が古い物なので、この地震で危険度が高くなり歩行禁止になっている可能性もある。
だが蔵前通りは距離的にはかなりロスだ。
どちらにするか迷ったが、とりあえず外堀沿いに秋葉原に向かう。

秋葉原の電気店で、ニュースを放送しているかと思いきや、店舗はほとんど閉まっている。
中はかなりメチャクチャになっていたのかもしれない。
結局何の根拠もなかったが、京葉道路を歩くことに決め、万世橋を渡って岩本町に出てそこから一路東を目指した。

山手線の外に出たら人は減るかと思ったが、時間は17時前だがすでに歩いて帰宅する人で道はかなり混雑している。
この時は自分もまだ元気で、どんどん人の波を追い越していた。
やがて隅田川に到着。
川の水が、見てわかるほど凄い勢いで逆流している。
途中のニュースで知ったのだが、このときすでにTDLの駐車場は冠水していたらしい。

隅田川を渡りそのまま歩き続けるが、車道は渋滞でほとんど動いてない。
この後、荒川&中川までの間に、都バスを合計10台くらい追い抜いた。
そして錦糸町くらいで日が暮れ始めたので、コンビニで菓子パンとドーナツを買って、歩きながら食べる。
オニギリ、弁当類はすでに完売だ。
ここまではかなりの勢いで歩き、だいたい2時間くらい。
このままなら8時過ぎくらいには帰宅できるかなと、この段階では軽く考えていた。
だがここからがツラかった。

江東区は横に長い。
そして江戸川区はさらに長い事はわかっている。
革靴だった事もありだんだん足が痛くなってくるが、休むともっとツラくなると思ったので、そのまま勢いで歩いた。
錦糸町→荒川もそこそこ距離がある事はわかっていたが、歩いても歩いても橋が見えてこない。
完全に日が落ちて気温も急激に下がり、精神的にはこの頃が一番ツラかったかもしれない。
亀戸の駅前の自転車屋に30人くらいの列ができているのを横目に、がんばって歩き続ける。

やがてやっと新小松側橋が見えてくる。
川を渡るときには北風がかなり強かった。
すでにかなり疲労していた事もあり、ちょっと耐えられない風の強さだ。
もう暗くて水面の流れを見る事もできない。
とにかくここを渡れば後はラクになると自分に言い聞かせ、なんとか橋を渡り切った。

橋を渡ると小松川警察署がある。
警察署の前には、何人も案内の署員が出ていた。
ここで水門の上が通れるかどうか確認。
万一「通れない」と言われたら、そのまま国道14号を小岩方面に歩いて市川橋に出るつもりだった。
しかし警察官が「大丈夫」と言うので京葉道路を東に歩く。

この段階で、道を歩く人が一気に減った。
おそらく千葉県に向かうほとんどの人が、京葉道路は徒歩では越えられないと思い、小岩方面に歩いたのだと思う。
人が減ったせいか、ここでやっと携帯電話のメールのみ使えるようになった。
なので徒歩で帰宅中と家族にメールする。

荒川&中川を越えても、江戸川区はかなり長い。
環七を超えたあたりでは足の付け根、ふくらはぎが痛くなり、もう信号が点滅しても走る気にならなかった。
後ろから来たOL3人組が地図を見ながら、「このまま真っすぐ歩けば本八幡みたいだよ」と言っている。
ああ、お嬢さんたち、京葉道路は徒歩では渡れないからその南にある水門を渡らなきゃダメだよと思ったが、点滅する信号を走って渡って行ってしまった。
その後も彼女たちに何度か追いつきそうになるも、信号の点滅でダッシュされて引き離されてしまう。

やがて出身地の篠崎に到着。
人はもちろんの事、京葉道路は車両も通行止めだ。
橋を歩いて渡ろうとする人を、どうやら警察が止めている様子。

江戸川は市川橋と今井橋の間に、車と徒歩の両方で通行できる橋がない。
みんな江戸川の堤防まで登って、そこで徒歩では渡れない事を知り途方に暮れている。
ここで警官が南の水門の上が通れると案内すればいいのに、警視庁もそんな余裕はなかったか。
水門の存在を知る人が少ないため、みんな北に歩いて向かっていた。
今井橋よりは市川橋の方が近いからだ。
おそらくさきほどのOL3人組も、その流れに乗って市川橋まで4km近くを歩いたに違いない。
なぜなら南の水門に向かう人は本当に少なく、暗闇だが水門までの間を歩く人は、私を含め数人しかいなかったからだ。
でも、もう人の事を心配する気力も体力も残ってなかったので、とぼとぼと水門を目指す。

水門、行徳橋を渡ると、後は数kmだ。
すでに歩いている人の数はかなり少ない。
京葉道路をまたぐ陸橋の上から下を見ると、緊急車両らしき車が何台か行き交っていた。
千葉に入るとふたたび携帯が不通になったので、コンビニの公衆電話から家に電話。
家の中はグチャグチャだが、とりあえず買って帰る物はないとの事なので、一路家を目指す。

自分のマンションが見えた時には、かなり安心した。
が!
そうだよ、エレベータが止まってるんだよ・・・。
足がガクガクしているのに、マンションを13階まで上がる。
このダメ押しもキツかった・・・。

21時前に部屋に入るとカミサンが割れ物を片付けていた。
耐震棒を使ってなかった書棚、食器棚はすべて倒れた。
だが、耐震棒を使っていたタンスなどは無事だったので、なんとか寝る場所は確保できた。
約5時間歩いていたので寝る前に風呂に入りたかったが、ガスが点かない。
オーマイガッ!
ニュース速報を0時過ぎまで見て、力尽きて寝た。

頑張って歩いて帰っても、それほどいい事はないんだね。
ただこういう場合は携帯電話は使用できない事がわかったし、おそらく首都圏でこのクラスの地震が起こった時は、橋を渡って帰る事ができないので、事実上徒歩で帰宅するのは困難だと言う事もわかった。
まあそれだけでも良かったとするか。
歩いて帰ることによる疲労度もわかったしね。

なかなか帰宅できない事も想定して、家族、親族との緊急連絡方法もちゃんと考えておかないと。
by ksato1 | 2011-03-13 20:55 | 日記 | Comments(0)