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戦国時代の「へぇ~」な話

今年の大河が「江」という事で、正月も戦国武将関連の特番が多かった。
撮り溜めた番組を見る中で面白かったのが、戦国武将と寺社を取り上げた番組。

そもそも神仏を恐れなかった信長だが、安土桃山城建築の際に、城への階段の敷石にお地蔵様の石仏を埋め込んだほど。
登城の際に、人々にその石仏を踏ませようという考えらしい。

ところがその信長も、熱田神宮と手力雄神社だけは篤く信仰したという。
熱田神宮は、今川に攻め込まれた桶狭間の戦いの前にお参りしているらしい。
まあこれは当然か。
そして手力雄神社は、信長が岐阜に攻め込んでことごとく寺社仏閣を焼き討ちしたところ、この神社に立ち入ったときに手足が痺れ、無礼の許しを請うたら体が自由になったという。
信長が奉納した弓が今でも伝わっている。

まあ、これだけで「へぇ~」なのだが、もっと興味深い話がいろいろあった。

明智光秀が本能寺に信長を討ちに言った理由については、諸説あるものの定説はない。
ところが、明智の側近の日記によりわかっていた事が一つある。
明智光秀が「敵は本能寺にあり」と本当に言ったかどうかわからないが、そこに織田信長がいる事は家臣には秘密だったのだ。
じゃあ、家臣になんて言ったのかと言うと、「本能寺に家康がいっからよぉ~、今から討ちに行くべ」と言ったらしい。
家臣たちも本能寺に着いたらそこにいたのが信長だったので、さぞやビックリした事だろう。
でもそうでもしなければ本能寺に着く前に、信長に忠信をつくした家臣に明智の方が討たれていたかもしれないからね。
言われてみると当たり前かも。

そのほかにも、戦国時代までは肉を食べていたので、寿命は短いものの体格は現代人と同じくらいだったとか、家康は祖父、父、長男すべてが、「村正」の銘の刀で命を落としているので「村正」の銘を禁止にしたとかね。

寒いので家に引きこもって見るには結構面白い番組だった。
by ksato1 | 2011-01-20 00:26 | 日記 | Comments(0)